2011.7.3 ツイッターに呟く・・・印刷博物館【空海からのおくりもの ―高野山の書庫の扉をひらく―】展図録のことなど

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昨日からのツイッターへの投稿です。

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こんな展覧会が!今年は法然と親鸞のお二人の御遠忌なんですね。なんだか京都の宿泊が大変そうと思ってました。東京国立博物館の展示、前期に早来迎が出展されるそうです! http://yfrog.com/h3k0iyqj

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東博は空海と密教美術展と思っていたので驚いたのだけれど、空海展は7月からで、法然と親鸞展は10月からとわかって納得。しばらく忙しいので空海展だけなら行かれそう。

odayuriko 
吉祥寺の夕焼け。7月に入り、秋までのイベント資料作成に入った合間のお出かけ。たっぷり道草を楽しみました。 http://yfrog.com/gyb0omxj

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この図録、凄い! 印刷博物館「空海からのおくりもの ー高野山の書庫の扉をひらくー」展。背表紙がこんな! 表紙は経典の版木の再現。印刷博物館ならではの贅沢な装丁。お得です(笑)。今月中旬まで。 http://yfrog.com/h86i9johj

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2011.6.2 新月に抜刷が仕上がって、印刷博物館で【空海からのおくりもの―高野山の書庫の扉をひらく―】展を観て!

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真鍋俊照先生古稀記念論集『密教美術と歴史文化』(法蔵館)に載せていただいた「北条実時と『西本願寺本万葉集』」の抜刷を、飯田橋にある印刷会社バンフー(帆風)に作っていただきました。

一昨日持ち込んで、出来上がりが今日・・・、気がついたら新月。物事をはじめるのに最適の日。なんと幸先いいのだろうと、嬉しかったのです。早速、受け取ってきました!!

そして、もう一つ嬉しかったのは、飯田橋にトッパンの印刷博物館があって、そこで【空海からのおくりもの―高野山の書庫の扉をひらく―】展が開催されていて、行くことができたこと!

これは、知っていたのですが、到底行く余裕がないとあきらめていたもの。でも、たまたま同じ飯田橋ということで可能になったのでした。

これは凄い展示でした。もう、堪能・・・

ふつうの博物館の展示と違って、印刷博物館ですから、印刷に即した展示・・・、そう、高野版と呼ばれる版木、経典などが主体。憧れの安達泰盛関連のものもありました!!

図録を買ってきたのですが、帰宅してみたら、これが凄い!! 表紙が版木をそのまま再現したように文字がレリーフになっている・・・。のちほど写真でご紹介させていただきますね。

上の写真は買ってきた絵葉書の孔雀明王像。孔雀は毒蛇を食べる強い動物です。なので、災いを取り除いて頂ける明王。見合う写真がきたら入れようと大切にとっていた写真立てに入れて玄関に飾りました。高野山の書庫の扉がひらいて、ゆたかな心持に浸りました・・・

追記:
孔雀明王像では仁和寺の宋画の仏画が大好きです。それを思い出したのは展示会場で宋版の仏典が多かったこと。宋画もそうですが、宋版の文字も堂々としてとてもシャープ。他国のもあり、日本のもありましたが、宋版の文字のあのシャープさって、何なのでしょう。線描の細さ、均一さ、爽快さ・・・。称名寺のご本尊の弥勒菩薩像も宋風なのですが、宋文化の魅力って、特殊なものがありますね。まだほとんど知りませんが、惹かれています。

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2011.1.12 昨夜、宮坂宥勝先生が御遷化されたとのこと・・・いつかはこの日が来ると思っていたのですが・・・心からご冥福をお祈り申しあげます

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昨夜、宮坂宥勝先生がお亡くなりになられたとのこと、ツイッターで拝見して、ニュースで検索して、間違いないことを知り、今は茫然としています。宮坂先生のご著書にどれだけ助けていただきお教えいただいたでしょう。私はたった一度しかお目にかかっていませんが、そのたった一度が今も至高の至福の宝、心の支えになっている、宮坂先生とはそういう方です。いつかはこの日が来るとは思っていましたが、ほんとうにその日が来ても・・・どうしたらいいのか・・・思考がまとまりません。

たった一度というのは、月輪観をなさっている朝のお勤めに参加させていただきたくて、岡谷の照光寺をお訪ねさせていただいた時のこと。このブログにもまとめていますので、改めては書きませんが、今思い出してもあのような時間がもてたことは夢のよう・・・。記事は「2008.1.20 宮坂宥勝先生と慈円様の微笑み」として載せました。

お便りも何通か頂戴しました。お優しくて、そしてあれほどの方でいられるのに信じられないくらい謙虚でいらして、暖かい、暖かいとしかいいようのないお人柄・・・。宮坂先生は密教の大家でいられると同時に心に文学を秘めた方でいられました。なので、私のような者でも、小説を書いているという一事で相手にしていただけたのでした。夏の日の諏訪湖のほとりに群れていた月見草・・・それを見ながらの早朝、市内のお寺に足を運んだ日がゆっくりと思いだされています。

心からご冥福をお祈り申し上げます。

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2010.5.26 昨夜の月は当地では山吹色でした・・・横浜では深夜、真っ赤な月が報告されています!

<a href="http://twitpic.com/1qxjmb" title="11th moon tonight.  on Twitpic"><img

↑は、ツイッターから宇宙飛行士野口聡一さんが撮られた宇宙から見た昨夜の月です。野口さんのホームをよく見たら、貴方のwebsiteにどうぞとHTMLが張り付けられるようになっていましたので、してみました。クリックしてご覧になってください。

地球での当地の月はいつもならぬ濃い山吹色でした。大きな地震の前には赤い月が報告されます。阪神淡路大震災の前夜には熟れたトマトのような色合いの月だったそうです。

昨夜7時半頃、帰宅途中の道を歩きながらふと見た月がほのかな赤みを帯びていて気になりました。どう見ても黄色ではなく、薄いけれど「赤」なのです。それから家に帰っても何度となく月を見ていましたが、赤い色は消えたものの、いつもより濃い目の山吹色。

地震予知の掲示板でも黄色い月は報告されていました。でも、真っ赤な月ではないから・・・とひとまず安心を決め込んで就寝したのですが、起きて、今見たら・・・、横浜の方が深夜二時に撮った時が真っ赤・・・、私はまだこんなに赤い月を見たことがありません、といえるほどにほんとうに赤い月でした。気になっています。

追記(5月28日):
以下の地震が発生しました。
27日01時19分頃 南大東島(沖縄)近海 M5.0 震度1
26日17時53分頃 南大東島(沖縄)近海 M6.1 震度4
28日02時15分頃 南太平洋(バヌアツ) M7.2

地震予知サイトの掲示板で、2月27日に沖縄で震度5弱(M7.0)の地震の10時間後にM8.8のチリ地震が起きたことから、26日の沖縄震度4のあと警戒を書き込まれた方がいられました。そうしたら果たしてバヌアツでM7.2が発生。地殻は一体ですから、こういう連鎖はありうると思いますし、一人一人が何かに注意して、別々にでも何かを発見しあって、お互いに喚起しあえるようになればいいですね。

沖縄でM6.1が発生したときに、前夜の赤い月を思いましたが、M6規模ではあの赤さにはならないと思ってここに追記するのを見合わせていました。M7.2が発生したと知って、これが該当だろうと思った次第です。

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2010.3.31 四月からNHKラジオで、真鍋俊照先生の【四国遍路を考える】がはじまります!

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 もう三月も最後なんですね。このことを三月尽っていうんですよね。以前、金沢文庫の図書室でみていた古い写本の奥書にあって、知りました。乗一という僧侶の書写した図像集でしたが、称名寺の一室で一心不乱に書写し続けて、書きあげてふと見上げた目に映ったのが、三月も終わろうとして季節が春めいた苑池の光景・・・、風に柳がなびいて桜の花びらが舞い・・・といった感じのとても綺麗な文章でした。で、三月尽というと、そのときの僧侶の思いでもって称名寺の光景が浮かぶんです。

 真鍋俊照先生は金沢文庫の文庫長をしてらした方ですが、今は四国の第四番札所大日寺のご住職をされています。私はカルチャーセンターで密教の講座を拝聴して、それがご縁で金沢文庫に通うようになりました。

 話すと長くなるのですが、小説作法をカルチャーで学んでいたとき、講師の平岡篤頼先生が森敦さんの『意味の変容』というご本を紹介してくださったのです。それがふしぎなご著作で、あえていうと、数式で書いた小説・・・みたいなもの。平岡先生は凡人の私たちには理解できないと思われて、あらかじめ真ん中に円をくり抜いた白紙を用意してらして、その紙を頭上にかかげながら、「この円の円周は白紙の側にあるわけでなく、かといって切りぬかれた円に属するものでもない・・・」みたいな、とうてい理解不能なことを一生懸命伝えようとしてくださいました(笑)

 難しかったのですが、でも興味を惹かれて『意味の変容』を必死で読み、それから井筒俊彦先生の神秘主義にいって、だんだん密教に近づいたとき、真鍋先生のNHKカルチャーでの「空海の哲学」という講座がはじまりました。その講座に目をとめたのは、森敦先生が真鍋先生のことを『マンダラ紀行』に書いてらしたからです。とてもいいお話をされる方と印象に残っていました。

 「空海の哲学」は、密教を学ぶにあたってこれほどコンパクトに充実された内容はないといった感じのお講義でしたが、半年で終わりました。受講者が残念がって継続を望んだのですが、先生は頑として聞き入れてくださいませんでした。なぜなら、密教は「学んで理解するもの」ではなく、「みずから体験して悟るもの」だからでした。徹底して頭で理解することを忌避します。このあたり、歴史上でも大変な事件があって、空海と最澄の疎遠はここからはじまっているんですよね。

 そのために「空海の哲学」という素敵なお話の講座は、写仏という「体験」の講座に変わり、先生を慕う受講者は全員しぶしぶ面相筆という慣れない絵筆をとって、線描のほとけさまを一体、一体、描いていく修練に移行したのです。

 写仏は数年通いました。そのときの写仏で描いたほとけさまの原本のようなものが、冒頭に書いた乗一も書写した図像集です。(曖昧な名称の書き方で済みません。調べればわかるのですが・・・)

 真鍋俊照先生のラジオ放送が四月からはじまりますので、ご案内させていただきます。ラジオ第2放送、NHKシリーズ「こころをよむ」の時間帯で、4月から6月にかけての13回の放送です。放送日は日曜日:午前6:45~7:25。再放送は翌週日曜日:午後1:20~2:00です。テキストはすでに発売されていて、初回は4月4日午前6:45からです。

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2009.4.20 真鍋俊照先生の【金剛界八十一尊曼荼羅】について・・・

Kujakunohane0001 真鍋俊照先生が描かれた【金剛界八十一尊曼荼羅】が世田谷区等々力の満願寺に寄進され、昨日はその完成記念講演会でした。

 この曼荼羅は巨大で、頂いたパンフレットには「世界で唯一の五メートル四方という特大」とあります。

 密教では本堂とか潅頂堂など堂内の両側に金剛界・胎蔵界の両界曼荼羅をかけ、修行者はその中央に座して「不二(一つになること)」を祈りつつ行を行います。

 今回寄進された真鍋俊照先生の曼荼羅は「金剛界八十一尊曼荼羅」。一瞬、金剛界曼荼羅・・・?かと思ってしまいます。しかも、巨大・・・。巨大なら、金剛界曼荼羅なんだろう・・・。でも、なんだか座り心地がよくない・・・、何が違うのだろう・・・・・・、と腑に落ちないまま講演会に向かいました。

 その謎はすぐに解けました。先生が配ってくださったレジュメのなかに、空海の『御請来目録(ごしょうらいもくろく)』があり、そこに「金剛界九会(くえ)曼荼羅」があり、その隣に「金剛界八十一尊曼荼羅」があったのです。

 「金剛界九会曼荼羅」はいわゆる両界曼荼羅のうちの金剛界曼荼羅です。金剛界曼荼羅は、縦3列・横3列の合計9つのブロックに分かれています。そのブロックの一つ一つに名前がついていて、それぞれ「理趣会・降三世会・降三世三昧邪会・三昧邪会・微細会・供養会・四印会・一印会・成身会(じょうじんね)」といいます。それで「九会(くえ)曼荼羅」というのですが、修行者は曼荼羅に向かって右上の理趣会からはじめて順番に下へ観想をしていき、下段から左側→左上へと行き、上段の一印会から中心部の成身会に至る過程を修します。

 つまり、金剛界曼荼羅は螺旋状に中心に深まってゆく構造なのです。それに比して胎蔵界曼荼羅は逆に中心から放射される構造。金剛界曼荼羅が理知の男性原理といわれるのに対して、胎蔵界曼荼羅が慈悲の女性原理といわれる所以です。(と、私などが解説してしまうのもおこがましいのですが・・・)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%83%8E%E8%94%B5%E7%95%8C%E6%9B%BC%E8%8D%BC%E7%BE%85

 先生のご説明によると、「八十一尊曼荼羅」は、その九会曼荼羅のうちの中央部の「成身会(じょうじんね)」のブロックだけを拡大して描いたものなのでした。どうりで「金剛界曼荼羅」っぽいのに、なんだかあっさり・・・、の謎が解けました。9分の1の区画だけをとりだした曼荼羅だったのです。そして、それが五メートル四方・・・、9分の1の部分なのに見上げるばかりに巨大な一幅の金剛界曼荼羅に等しい大きさなのでした。そして『御請来目録』にあるこれは現存していません。それを真鍋先生は復元されたのでした。

 この巨大な曼荼羅を真鍋先生は金沢文庫を辞されたあと、宝仙学園短期大学の学長をされた頃に思い立たれ、四国に移って四国霊場大日寺のご住職をされながら四国大学で教鞭をとられているあいだもえんえんと続けられて完成。この春、世田谷は等々力の満願寺さんへの寄進となったのでした。先生のご発言・・・、「私はどうも忙しいほど何かをしたくなって、そういう何か燃えるものがないと世俗の仕事も上手くできない」・・・というような。つまり、精神世界に起点をおいて生きていられる先生が、学長さんとか、その他もろもろの世俗にまみれた煩瑣なお仕事をこなしていられる背景には、「夜になったら一人仏画に浸るんだ・・・」という素敵な精神浄化作用の世界がおありだったからなのでした。

 真鍋先生の仏画の色はとてもあでやかです。それもとても深い味わいの単色でない優美さです。なのに、とても透明・・・。昨日の「金剛界八十一尊曼荼羅」も、それはとても優美でさわやか、透明感あふれる色彩でした。なぜそうなのか・・・も、技法的な解説もされていましたが、ここでは書き切れません。ただ、そう見えるにはそれだけの理論的な裏付けと技術があるということ・・・

 長くなりますから、今日書いておきたいことをまとめます。

 先に記した「御請来目録」は、空海が唐から帰国したときに持ち帰ったものを一覧にして朝廷に献上したものです。それはそれは凄い経典・絵画などの名称がならんでいます。そして、それら名称のあとに解説の文章があって、それが私は大好きなんです。心が弱くなってくじけそうになるとき、ふっと口ずさむだけで強くなれるといった類の言葉です。ご紹介させていただきますね。

 法はもとより言(ごん)なけれども、言にあらざれば顕われず。真如は色(しき)を絶すれども、色を待ってすなわち悟る。・・・密蔵深玄にして翰墨に載せ難し。更に図画をかりて悟らざるに開示す。

 (『弘法大師 空海全集』より訳を記します。)
 真理はもとより言葉を離れたものですが、言葉がなくてはその真理をあらわすことができません。絶対真理(真如)は現象界の物を越えたものですが、現象界の物を通じてはじめて絶対真理を悟ることができます。・・・そのなかでも、真言密教はとくに奥深く、文筆で表し尽くすことは難しいのです。ですから図画をかりて悟らない者に開き示すのです。

 これはカルチャーで私が真鍋先生に教えていただいた、ほんとうのほんとうの最初の第一節です。それまで真理は言葉で説明するもの・・・みたいなふつうの人生論に馴染んでいた私には「真理は言葉で説明できない。だから絵でもって訴えて感じ取ってもらう」という密教の世界は、非常に新鮮でした。

 それらから離れて、それらを心に持ちながらも、でも実質は遠く離れて、いわゆる「深秘(じんぴ)」「神秘」から遠く世俗にまみれて暮らしているような現在の私には、どうしてこうなってしまったのだろう・・・、というような深い忸怩たる思いがいつもあります。それで、ご講演のあと、先生とお話する機会があったので、「あの講座のようなことをずっと学び続けていたら、別の人生になっていたでしょうね」と言いました。先生は、「あれを続けると行(ぎょう)をしなければならないところまでいって必ず行き詰まるから。」と言われました。カルチャーの「空海の哲学」という講座は、みんなに惜しまれながら、先生は頑として続けてくださらなかったのです。(代わりに、突然、写仏の教室になり、“哲学”を学びにいったはずの受講生はみんな、慣れない絵筆をとっての写仏という“行”に四苦八苦しました

 密教は「言葉にすがってわかったような気持ちになること」を忌避します。「言葉でわからなくても」、「身体で体得する」・・・、それが「行(ぎょう)」なのです。私にとっての「行」は文学です。先生が講座を続けてくださらなかったがために、路頭に迷いながら、四苦八苦の喘ぎ喘ぎを続けながら、ようやく『源氏物語』が私の世界になりつつあります。先生の深いお心に触れた一日の気がしました。

 写真は孔雀の羽根を撮ったもの。先生の「金剛界八十一尊曼荼羅」には孔雀や獅子・象や兎といった獣がたくさん描かれていました。そのほとんどが、ほとけ様の座す蓮台の下の獣座として。この獣座はふつうの曼荼羅では描かれていません。今回真鍋先生が「こうあったはず・・・」のように復元されたようなお話でした。獅子や象の脇に孔雀の羽根が描かれていて、獣たちも自由に宇宙に飛翔・遍満する・・・という意味がこめられているそうです。先生のお言葉では、「男も女も動物もすべて平等」「それが目に見えない命の輝き」なのだそうです。曼荼羅に獣が加わることで。

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2009.1.2 密教の新春のお護摩・・・

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 武蔵野市吉祥寺にある安養寺さんでは毎年年の改まる1月1日0時から新春の護摩祈祷を修されます。申し込むとお札に「家内安全」とか「身体健全」「心願成就」などの願い事を書いてお護摩の火をくぐらせて一年の望みを叶えてくださいます。

 写真は今年のもの。この地に越して来てのある年、年越し寸前の時間帯に吉祥寺の街を歩いていたとき、どこからか除夜の鐘が鳴り響いてくるのに気がつき、たどって行って安養寺さんにたどりつきました。それから毎年主人と私はお詣りに行って、お護摩を焚いていただいたお札を持ち帰るのが習慣になっています。密教儀礼は寺院の奥深くで行われて、一般の人の目にすることは敵わないように思いがちですが、こんな身近に拝することができるなんてと、内心今も奇跡のように思い毎年楽しみに伺います。

 写真は上から、①始まったばかりの室内。左に並んだ方々が朗々とお経を読み上げてくださいます。②実際に火を焚かれる導師様は一段高く座られて修されます。最初小さかった炎がだんだん高くあがってゆらゆらと揺らめきます。写仏でお不動様を描いたとき、背後に火焔を描きました。私はこの炎を見るといつもお不動様の火焔を思います。右にいられる僧侶の方の手だけが写っていますが、持っていられるのが私達が申し込んだ祈祷のお札です。ここでこれを火にかざして下さるのです。

 安養寺さんでは最初に書いたように除夜の鐘を鳴らします。それが、一般の人が衝かせていただけるんです。大晦日の深夜11時半頃にはもう長い列ができて順番を待っています。最近では外人さんのお姿を見ることが多くなりました。これこそ日本文化の体験ですね! 0時直前にお護摩を焚かれる僧侶の方々が一列になってこの鐘楼に昇られ、一周して儀式をされます。それから一般の人が衝く出番となります。僧侶の方々は一列のまま庭内を通ってお護摩祈祷の場へと移動され、0時からお護摩がはじまります。もし来年行かれるなら、この鐘楼の儀式に間に合うよう行かれることをお勧めします。最後の写真は鐘楼の前の篝火です。

織田百合子のHP http://www.odayuriko.com/

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2008.3.23 運慶の仏像について・・・

 先日、運慶作とみられる木造大日如来像がオークションに出され、三越さんが12億とかの金額で落札されたニュースがありました。

 個人蔵とされていたその仏像について、テレビで詳細を追っていたのですが、もとは足利市にあった寺院のものだったとか。運慶は関東での活躍が多いなあと思ったので書きます。

 はじめて関東の運慶を意識したのは、神奈川県横須賀市芦名にある浄楽寺の阿弥陀三尊像です。これは、和田義盛建立の鎌倉時代の寺院で、仏像の胎内にあった銘札から運慶作とわかったときは非常な驚きだったとききます。普段は収蔵庫に納められていて拝観できませんが、私は真鍋俊照先生が会長を務められる密教図像学会の例会で、三浦半島の寺院を巡るバスツアーがあったときに参加させていただいて対面が叶いました。

 もう一件の東国における運慶の仏像は、伊豆の願成就院にあります。やはり阿弥陀三尊像です。こちらは北条時政ゆかりの寺院です。これほど貴重な仏像ですから、さぞかし厳重な警戒のもとにしまわれているかと思いきや、さびれた木造の寺院内に、いともあっけなく、観光地のガイドさんつきで対面させていただけたのには驚きました。拝観したい人には警戒が厳しくて観られないのは残念ですが、あまり安易なのも心配になります。

 その後、神奈川県立金沢文庫でも運慶作の仏像が判明したとか・・・。この展示に行きそびれたので詳しいことはまだ理解していませんが。
http://www.planet.pref.kanagawa.jp/city/bunko/tokuhou.htm

 こうして見ても、神奈川県、静岡県、栃木県と、運慶作の仏像が関東にかなり広まっていることが伺えます。運慶というと東大寺南大門の仁王像から奈良の人というイメージが強いのですが、実際の活躍はどうだったのでしょう。運慶をめぐって書いたら、案外面白い文化史かできるかも・・・

http://blog.goo.ne.jp/tivgdtd/e/4d2ee2296daa2http://www.nifty.com/8a77f76609e2bdb6af5
http://www.city.yokosuka.kanagawa.jp/kaikoku/tanbou/26.html

織田百合子Official Webcitehttp://www.odayuriko.com/

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2008.2.22 長尾雅人氏『中観と唯識』から興福寺の無着・世親像へ・・・

 昨年暮れに、「織田百合子」の公式サイトを立ち上げるために、ドリームウィバーの対応書や何か参考になるものをと、書店をうろうろ回っていたら、仏教書の棚の前にさしかかり、ふと目を止めたのが、長尾雅人氏『中観と唯識』でした。岩波書店刊行で、「待望の復刊」ということを記す目立つ帯がついていたのでした。

 なんとなく気になっていた本ですので、手にとって中を繰らせていただきました。そうしたら、すうっと、身体の中心に気がとおって、心がとても穏やかになりました。

 そういえば、唯識なんて、夢中になって読んでいたのはいつだったかしら・・・と懐かしくなり、購入しようと価格を見たら、七千円を出ています。字は細かいし、今は読んでいる余裕がないからと、一度はあきらめました。が、その後もぐるぐると書店をまわっていても、心の中ではこの本のことばかり考えています。それで、再び仏教書のコーナーに行ってこの書をとると、やはりすうっと心が澄んでいきます。

 そうか、ここのところずっと歴史ばかり追っていて、こういう心の書から離れていたからなあと、自分の今の心境が、如何に殺伐としているか気づかされて、愕然としました。読書って、そのときどきの読みふける傾向で、そのときの自分のありようを知らされますね。結局、こんなに心が透き通るならと、『中観と唯識』を買って帰りました。清涼剤としてはちょっと高価でしたが・・・

 その後、ずっと、本は本棚に置かれたままでした。サイトを立ち上げたり何やかやと、『紫文幻想―源氏物語写本に生きた人々―』のために、心を尽くしていたからです。でも、PCを打っていて、ふと目をあげるとこの本がある・・・。すると、ふっと、心が落ち着く・・・、みたいなことを繰り返していて、清涼剤としてはとても効果大でした。

 先日、三島由紀夫の「中世」を読んでいたら、まさに「これぞ、文学!」の思いが湧いて、いつからこういう薫り高い文学から離れていたのだろうと、感慨に浸ってしまいました。『紫文幻想』を書いていても、源光行の人生を追って書いているので、どちらかといえば伝記、歴史の範疇・・・。文学とはほんとうに久しく遠ざかっているのです。

 「中世」は足利義政を主人公とする中世が舞台の小説です。読み始めてすぐ、そこに底流する仏教観に、心が浸透されました。そして、そうか、三島は『豊饒の海』で唯識を書いていたのだった・・・と思念が行き、そうしたら、なんだかとてもその世界が懐かしくなって、ふと目を向けたその先に、長尾雅人氏『中観と唯識』がありました。

 そうか、やはり、読みたいなあ・・・という気になって、目次を繰り、「転換の論理」という項目を選んで読み始めています。わからないながらも、心の澄んでいく世界です。

 そうして、無着・世親という名の頻出するこの本の世界から、興福寺の無着・世親像を思い出しました。このお像に拝したのは、たしか東京国立博物館だったと思うのですが、展覧会会場ででした。奥まった部屋の一室に、特別な扱われ方でお二人は立っていられました。
http://www.kohfukuji.com/kohfukuji/01_index/f_main_d.html

 凄い、と思いました。

 たぶん、この二体の仏像は、彫刻のなかでも他を圧する最高峰・・・という気がしました。

 いったいに、仏師といわれる方々は、どれくらいに仏教を修めて仏像をつくられるのでしょう。運慶・快慶といった方々の仏教理解は、高位の僧侶といった方々に匹敵するレベルかもしれません。無着・世親二体にあらわれている静謐・・・。唯識の祖のこのご兄弟を、これだけの風格で彫り上げるには、並大抵の仏教理解ではできない気がします。おそらく、難しい教義はともかく、全身全霊で彫る彫刻作業は、仏教の修行と悟りの行為そのものになのでしょうね。

 『中観と唯識』に無着の文字が目にはいったことから、こんなふうな思考の流れになっています。私はご兄弟のうち、無着になんとなく惹かれ、この文字を目にするだけで、すうっと心が澄んでいき、まさにわたしにとっての清涼剤なんです。仏教の専門の方には怒られてしまいそうな不埒な話ですが、これも一種の救いと思って許されて欲しいですね。

 ちなみに、世親には『唯識二十論』があり、真鍋先生には読むよう勧められています。で、一応、「読んで」はみましたが・・・。こういう著は、読んで、活字に目をとおして、理解して、わかる・・・というものではありませんから、大変。なんだか、いろいろ書いていたら、これらの世界が懐かしく甦ってきました。

織田百合子Official Webcitehttp://www.odayuriko.com/

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2008.1.31 高野山霊宝館の国宝『阿弥陀聖衆来迎図』のこと

 高野山の霊宝館に、『阿弥陀聖衆来迎図』(あみだしょうじゅうらいごうず)という、とても巨大な来迎図があります。来迎図は浄土教系の仏画です。が、私がその存在を知ったのは、青山のNHK文化センターに通っていたときの、真鍋俊照先生のお話のなかででした。真鍋先生は密教の僧侶でいられますが、仏教美術がご専門ですので、浄土教の美術についても教えていただいていたからです。

 浄土教美術と密教美術の違いを一言でいうと、描かれているほとけ様が、浄土教の場合は阿弥陀さま、密教は大日如来となります。なので、『阿弥陀聖衆来迎図』は浄土教の仏画となります。

 来迎図というのは、「往生しようとしている人」を、たくさんの菩薩さま方を従えた阿弥陀さまが、迎えにこようとして、雲に乗っておりて来られる図です。あちらから降りて来てくださるのですから、ほとけ様が「来る」構図です。

 密教では、即身成仏が主眼ですから、ほとけ様が助けに来てくださるのを待つことはしません。ひたすら大日如来というほとけ様の前で観想を積み、その境地に達するよう目指します。つまり、密教では、人間が「行く」構図です。

 今、ほとけ様の前で、と書きましたが、正しくは「はさまれて」でしょうか。というのは、密教の仏画である曼荼羅には二種あって、一つは胎蔵界曼荼羅(たいぞうかいまんだら)。もう一つが金剛界曼荼羅(こんごうかいまんだら)です。観想は、この二幅の曼荼羅を左右両脇にして、その中心に人間が座して行います。そして、一体となることを願うのです。

 専門でない私がこれ以上書くのははばかれるのですが、このあたりのことを、真鍋先生から毎回とても丁寧に教えていただいていました。それは、とてもしなやかでふくよかで、素人の私にもとてもわかりやすいお話でした。

 一例をあげますと、胎蔵界曼荼羅の中央上部に△のマークがあります。それを先生は指して、「ここにこのマークがありますね。ほとけといっても、人間の目には見えません。見えないし、ほとけは遍満しているものですから、人間はどこに向かって拝めばいいかわからない。人間は見えないと不安なんです。だから、仮にここにこういう目印を置いて、それに向かって拝めばいいんです。すると、人は安心するのですね・・・」というような。

 もちろん、その△のマークがそんな他愛ない話でないことは明らかです。でも、一般庶民の素人の私たちには、それで十分。まさに、「安心」するわけです。以来、私も、拝むときは、「どこに向かってするのでもない、ただ仮にこのほとけ様に向かって拝んでいるのだけれども、この具体的な形象はこの世での仮の手だてなのであって、ほんとうはもっと奥の広い宇宙に遍満するほとけの世界に向いているのだ」というような感覚になります。

 曼荼羅といっても、ご存じない方もいられるでしょうから、ご参考までにURLを付しておきます。企業のサイトのようですが、とても綺麗です。左が金剛界曼荼羅で、理性の世界の「智」を。右が胎蔵界曼荼羅で、慈悲の世界の「理」をあらわすそうです。両方を合わせて「金胎不二」(こんたいふに)といい、すなわち宇宙です。
http://www.j-reimei.com/mandala.htm

 『阿弥陀聖衆来迎図』から話がそれてしまいましたが、来迎図というと有名なのは、知恩院の『阿弥陀二十五菩薩来迎図』です。「早来迎」の名で知られる、とても綺麗な仏画です。構図がシャープなので、何も知らないで見ていたころは、来迎図のなかでは一番惹かれていました。が、これは、来迎図のなかで、もっとも時代がくだったときのもの。というのは、人間世界はせっかちですから、阿弥陀さまが降りてこられるのを次第に待っているのがもどかしくなり、「早く降りて来てください」との願いに応えて、ほとけ様の一行が急スピードで降りてこられる図なのです。だから、構図が急角度。そのためにシャープに見えるというわけです。
http://www.kyohaku.go.jp/jp/syuzou/meihin/kaiga/butsuga/item06d.html

 高野山の『阿弥陀聖衆来迎図』は、阿弥陀さまが真正面を向いて中央に座していらして、その周りをにこやかに菩薩さま方が取り巻いてられるという、とてもゆったりして穏やかな構図です。斜めに降りてこられる構図しか知らなかった私には驚きでした。
http://www.reihokan.or.jp/syuzohin/kaiga.html

 真鍋先生のお話を聴いて、是非とも拝観したくなった私は、所蔵先の高野山霊宝館の展示状況を調べました。貴重なものですから、展示は劣化・破損を恐れて、二年だったか四年だったか、何年おきにしか展示されないとのこと。そして、そのときは前年に終わったばかりでした。がっかりしましたが、その後まもなく、どこかの展覧会で出展されるとのことで駆けつけ、無事拝観させていただき、感動した思い出も懐かしいですね。展覧会会場の一つの壁面を占めてしまうほどの、とにかく巨大な仏画でした。

 昨日、彩雲を見て、『阿弥陀聖衆来迎図』を思い出しました。彩雲を見ると、いつも仏画を思うのは、ほとけ様が乗っていられる雲、「紫雲」が、この彩雲ではないかと思うからです。

 地震予知を目指して、私はここ四年ほど、いわゆる「地震雲」を撮っています。「地震雲」といっても特殊な雲ではありません。ただ、一定の形状や発生の仕方があって、経験の積み重ねでそれが地震の予知に繋がるのです。そういうなかで、彩雲ともかなり遭遇しました。
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 実をいうと、彩雲は、大きな地震の前触れです。地震が起きる原因の地中での岩盤の破壊時に電磁波が発生し、それが地表に湧き出て大気中に遍満すると、それがプリズムのようになって彩雲となる・・・・、簡単にいってしまうと、そういう経緯になります。ですから、彩雲ができるほどの空というのは、よほど電磁波が多いということ。大きな地震の前触れということになります。といっても、見えたその地域で起きるのでないので、脅える必要はありません。ただ、世界のどこかで・・・。それは、遠い国での発生でも、日本で彩雲になって見られる規模、ということ。(自分さえ助かればいいというのではなく・・・)

 私が不思議に思っているのは、古代の人は、この地震との関連を知っていたのかしらということ。紫雲というと綺麗ですし、瑞雲といえばおめでたいようですが、そもそも来迎図は往生しようとする人のためのもの。彩雲の綺麗さだけに捉われたわけでないだろう、古代の人の感性を私は凄いと思ってやみません。

 長くなっていますので閉めますが、高野山の『阿弥陀聖衆来迎図』は、もとはといえば比叡山の重宝でした。織田信長が比叡山を焼き打ちで攻めたときに、これを燃やすわけにいかないと、お寺の人が懸命になって持ち出し、高野山に収めてもらったという経緯で、現在高野山の重宝となっているそうです。

織田百合子Official Webcite http://www.odayuriko.com/ 「寺院揺曳」6をアップしました。

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