4月23日
タウンニュース鎌倉版コラム【鎌倉と源氏物語】第16回「朝廷と幕府の取り次ぎ役 西園寺実兼は『雪の曙』」の紙面です。

おはようございます。五月の腰越の講座は、タウンニュース鎌倉版コラムの連載をご覧になった幹事さんの企画です。鎌倉の源氏物語は別に私の発見でなく、国文学・歴史学界では研究者さんの間で周知の事実だったもの。ただ一般の方にまで降りてきていなかったから一般の方の驚きと喜びで広まっています。
文化は誰かがしないと広まらないんですよね。最近TLで登呂遺跡が流れてきて懐かしかったのですが、登呂遺跡もたしか毎日新聞だったと思うけど1人の記者さんが惚れ込んで記事を書き続けられたから有名になりました。私もそれで登呂遺跡のファンになった1人。鎌倉での活動の底にそれがあります。
擦り切れるほど使われた『「法華玄義」入門』の栞紐。なんか、感動しています。

書籍自体は全然傷んでなくて、最初この本はあまり借りられてないんだと思ったくらい。なのに栞紐がこの状態って、自分で読んでいてわかったのですが、とにかく進まない!自然に栞紐の使用頻度が高まります。
紫式部や定家の時代に帰れたらとひそかに思う今日この頃。摩訶止観がふつうに知られていて仏会では講義も拝聴できて、それなら気の合った人と談義もできますよね。密教と禅宗と通過してきてそれなりに共有できる方がいて下さいましたが天台宗は未だに独り。静かに孤高を保つ宗派なのでしょうか。
と、愚痴ツイート。
あ、抜けるかも。佐藤明の作品に衝撃を受けて。
そうか、やはり法華玄義で自分を縛っていたのかも。作家は悟ってはいけません。と、いつも思います。そういえば密教の時、もっともっとと深まりたい探究心に燃えていたら、ある時ぴたっとそこから師の方が教えて下さらなくなって、「貴方には文学があるでしょう」と言われたのでした。
ここのところずっとエンニオ・モリコーネ「La Callifa」を聴いています。仙覚の小説は映画化するとしたらこういう曲でして欲しい。やっと思考が動き出しました。やはり、止観は停止。仙覚の思考の底流をつかんだからもう法華玄義は手放します。
4月24日
おはようございます。昨日登呂遺跡について呟き、登呂遺跡を舞台にした「青銅鏡物語」という映画脚本で賞を頂いたのを思い出したからか、仙覚の小説の夢は大河ドラマ化だったのに深夜突然映画化になりました 笑。小説も映画も目指せ! 『薔薇の名前』です。今日から仙覚の小説に戻ります。
例えステップアップでも終焉を見るのは寂しい。鎌倉の源氏物語を、これは広めなければと懸命になって講演を企画したり人脈を作って下さった方が、腰越の講座を喜んで下さりながら、私の手を離れてもきっと鎌倉レガシーとして確立するでしょうと。私の手を離れても。もうそうなっていたけれど、やはり。
4月25日
今日は意識して仙覚の小説に気分を浸す。遠のいているとやはり私自身が散漫。執筆は豊饒を取り戻します。で、基子さんが岩殿観音にたどりついて時房が……まで書いたところを印字して、その前に岩殿観音に基子さんが来た意味→観音信仰に助けられる暗示を書かなければならないと気づいたのでした。
岩殿観音は坂東三十三観音霊場の第十番。ここに匿われて仙覚が助かったとする研究発表要旨をある方に見て頂いたら、観音信仰の強さに感動したとご感想を頂き、はっとしました。どうしても現代の視点からだと信仰を疎かにしてしまうけれど、中世当時の人にあっては信仰は生きていたはずですものね。
ちなみに岩殿観音は坂東三十三観音霊場の第一番は鎌倉の杉本寺です。都幾川の慈光寺は第九番です。
戸井田刑部は観音堂に入ると二人のために護摩を焚いた←仙覚の小説。こういう文章が出てくるとは昨日まで思いもよりませんでした。護摩を焚く描写、これからします。まさか護摩の描写をする時がくるなんて!
4月26日
以前訪ねた時の江戸東京たてもの園の藤です。枝垂れるという語が好きだからこの写真はお気に入りの一枚。今年は桜を廻りそこねたから藤を訪ねて周りましょうか、など思う。

源氏物語から人生の深い哀しみを教えられている基子さんが、戸井田刑部から苦難に遭ったら観音様におすがりなさいと教えを受けるところが上手く繋がって、そうしてたまたま休憩にLaCallifaを聴いたら、それこそ今後の基子さんの苦難の道への想いが溢れて涙しそうに。作者の感傷です 笑。
今まで理屈ではわかっていたけどここまで生々しく厳しい事だったとは。基子さんのこと。一族を殺されたった一人で鎌倉から逃げて、しかも臨月の身。例え無事に産んだとしてもその子は人に預けて自分は放浪の旅に出なければならない。我が子とは二度と会えない別れ。私だったら耐えられないと終日思う。
それを書く日が間近に迫っているのだけれど、どう書くか……。今まで、ただ凛とした基子さんを書けばいいとばかり思っていたのですが。
なんか今まで基子さんを単なるドラマのコマとしてふざけて書こうとしていた気さえする。気づいたからといって筆致は変わらないと思いますが。
4月27日
今日は突然私に用ができて鎌倉禅研究会に行かれなくなって、それでは例会の写真を撮れないし、Facebookの記事を書けなくなるから困って人に頼んで行って頂きました。今終わったと電話があってほっと。ここのところ種々ダブルブッキングになったり。執筆に専念せよと外部からの包囲網の気が。
到底無理くらいのよんどころない事情でないかぎり私は動いてしまうから。ここのところの種々の包囲網はそれを越えていて活動を自粛せざるを得ない。最後に残るのは仙覚の小説。それしかないというところに来たのでしょう。と、諸々残念や無念、申し訳なさを懐きつつ思う。
昨夜から岩殿観音縁起を読んでいて、今までこれは入れるつもりなかったのに、基子さんの観音信仰によって助けられた展開には重要と思い返して。でも鎌倉禅研究会に行ったらまた気分が禅に浸されるからどこまでこの縁起の気分が引き継がれるか危うかったのですが、行かれなくなったから続いています。
で、縁起によると岩殿観音は元正天皇の養老年中に一人の沙門が創って、桓武天皇の時代に坂上田村麿がここで悪龍退治をして、それはこの岩殿観音に念じたからと。その功労に桓武天皇が坂上田村麿に伽藍を造らせ、年月を経て廃れていたのを政子の力で比企能員が再興した。ということだそうです。
元正天皇って? と真夜中に検索したら、天武天皇と持統天皇の子の草壁皇子の皇女とあり、そんな時代に!となりました。次に文武天皇がでて又検索したら元正天皇の弟。そこに桓武天皇の時代の坂上田村麿とかで、昨夜は全くいつもと違う時代の検索で楽しみました。観音様のご利益です。
こういう古い時代の由緒が正しいかは別として、岩殿観音の前一帯には坂上田村麿が退治した龍を埋めた池とか諸々あって、基子さんがすがったのはこういう歴史ある深い土地。なのにこの言い伝えをあながち伝承とばかりに切り捨てて書く気が起こらなかった姿勢を反省しました。
4月28日
おはようございます。秋の講演の幹事さんからお電話。腰越の講座に申し込まれたとのこと。同じ『源氏物語と鎌倉』からでも幹事さんによってテーマが変わる。腰越は「金沢文庫発の源氏物語」。秋の講演は多分「平家ゆかりの源氏物語が鎌倉に」になると思う。お二方に通じるのは「鎌倉に広めたい!」。
昨日所用で鎌倉禅研究会に行かれず、代理を頼んで腰越の講座のチラシをレジュメと一緒に配布して頂くよう持って行って貰いました。主催者様がそれを「鎌倉で源氏物語の啓蒙活動をしている…」と紹介して下さったそう。いつの間にかそう言って頂くようになってきています。数年以上かかりました。
今日のタウンニュース鎌倉版に腰越の講座の募集を載せて頂いているそう。鎌倉の方のお電話で知りました。彼女は最初に私の講演を企画して下さった方。そして彼女を私に紹介して下さった方とこれからランチで、タウンニュース紙と腰越のチラシを持って出て彼に報告して下さるとのことでした。
鎌倉の情報誌『鎌倉萌』5月号の腰越の講座募集要項です。「源氏物語は紫式部が書きました。けれども紫式部自身の手になる原本は残っていません。私たちが読むことができるのは昔の人が書き残してくれた写本があるからです」と紹介して下さいました。

仙覚の小説に専念したい気持ちが深まっているのだけれど、いろんな分野の広報さんが募集を掲載して下さっているからツイッターでお知らせしたいし、でも講座が終わったら今度こそ専念と考えているのに今朝頂いたお電話で「これから忙しくなりますよ」と。という訳で今日はまだ専念に入れてません。
いろいろ予定表を整理して確認したり申込を済ませたり連絡をして、その結果、仙覚の小説は一旦離れて腰越の講座準備に専念することに決めました。基子さんの岩殿観音信仰で、縁起を読んだら書くメドがたち一安心となっていました。もうじき5月。腰越の講座2回。締切原稿2本。心して粗相のないよう。
姫ウツギ。植えた時、ほんの10数センチだったのに今では茂って毎年見事に咲いてくれます。凄い繁茂力。

木工薔薇。金色が綺麗だから毎年日に輝く光景を撮るのですが、今年はこんなふうにあえて日影でアップで撮ってみました。茂っているので花の香りがどことなく漂っています。

もう一枚。木工薔薇です。
