4月10日
やっと慈光寺の桜を観にゆくバスツアー(実際は国宝慈光寺経を観るツアーです・・・笑)のルートを確認しているのですが、昼食は?と見たら、なんと、小川町のお食事処。え!、小川町に寄るの?となって驚いています。そんなだったら仙覚さんの万葉集顕彰碑もルートに入れて欲しかった・・・
鎌倉の古典文学散歩でも通常の観光ルートと違うコースを組むから楽しい。比企を巡るツアーもそんなふうに仙覚碑を組み込んだ文学主体のコースを作ったら面白いでしょうね。(鎌倉では、私の講演を聴いて下さったあと、早速小川町にいらした方が何人かいらっしゃいます。)
一つが片づきそうになると次にすることが見えてくる。慈光寺ツアーのメドがたちふっと湧いたのが「鎌倉の万葉学者仙覚・玄覚は誰かの問題について」。夏の大会に申し込むか来年に先送りするか迷っていました。でもこのタイトルならいいかも。…は誰かの問題について、は始めて浮かんだフレーズです。
私はいろんなことに手をつけ過ぎていて、それが重層的に畳み被さってきていて、どれもどれも片づけなければならないと思えば思うほど何も解決しなくなるのだけど、日程や締切が枷になって一つに取りかかると終わりそうな頃次が浮かぶ。こうやっていつもギリギリのところで間に合いながら進んでます。
4月11日
おはようございます。就寝前にチェックした地図で昼食処が仙覚律師顕彰碑に近くて驚き、これなら抜けだして行ける!などとよからぬ思いが湧くのと戦っています(笑)。バスの中でお話する最初を妙本寺境内の万葉研究碑とこの仙覚律師顕彰碑の関係から始めようと思ってたのに、まさか近くまで行くとは。
小川町の仙覚律師顕彰碑は、晩年の仙覚が「比企郡北方麻師宇郷」で『万葉集註釈』を成したとするその麻師宇が小川町の増尾と比定され、昭和3年に佐佐木信綱博士のご尽力で建てられました。(←と、今、その「昭和3年」を確認したところです。昭和だったっけ、大正だった?と曖昧でしたので。)
鎌倉にいますが、ダウンコートを着てても寒いです。
4月12日
おはようございます。寒い鎌倉の朝です。今日は慈光寺バスツアーの日。早朝の鎌倉発なので昨夜から鎌倉に。仙覚さんの苦難の人生と重ね合わせて何回も自分の足で訪ねて回った小川町と慈光寺…。それぞれに感慨深いです。バスの中でお話して仙覚さんの思いを背景に慈光寺経を観て頂けたらと思います。
バスの先頭から稲村ヶ崎が見えます。

桜と国宝慈光寺経を観る慈光寺ツアー。山岳寺院だから慈光寺様は山頂にあります。着いて、バスを降りた所から撮った光景です。

昼食は小川町の玉井屋さん?事前の下調べで、ここがなんと佐佐木信綱博士が建てられた仙覚律師顕彰碑のある山の真下。バスツアー会社の方も、仙覚さんの事をなんにも知らずに決められてのこの偶然にびっくり。玉井屋さんから眺めた碑のある山です。

慈光寺様の桜。

帰りのバスの車窓から、慈光寺開山堂。本物の開山堂は中にあり、見えているのは覆屋です。

途中でツイートできませんでしたが、春の山里の桜の光景を堪能しました。
慈光寺様、般若心経の道は空海や良寛などいろんな方の般若心経が石碑や陶版?で飾られている小径。これは空海筆の般若心経の石碑です!

般若心経の道に降りる階段の両脇にもシャガの群生。

4月13日
おはようございます。昨日は鎌倉で4時に目覚めて早いとは思ったものの二度寝したらアウトになりそうでしたのでそのまま起きて始動。睡眠時間のサイクルには決まりがありそうで、昨夜は疲れて早々に寝たら今朝もこんな時間に起きてしまいました。徹夜型から早朝型に。このまま上手く移行できればいい。
大切なのは最後に残った152首の歌に訓点を点けて万葉集歌全部が読めるようになったという仙覚の功績。それが鎌倉で成されたという事。そしてそれを鎌倉の方々が誇りに思って下さる事。それを認識した昨日の慈光寺バスツアーでした。話終わって添乗員さんがまず仰った感想の最初の一言がそれでした。
添乗員さん「驚きました。全部知らないことばかり。万葉集が全部読めるようになったのが鎌倉でだったとは」。←私の話はまず「知らなかった」と受け止められます。私も最初そうでした。驚いて呟くと、専門家の方から「知らなかったのはお前だけ。専門家はみんな知ってる」と。一般との乖離が凄いです。
慈光寺ツアーと仙覚の関係は、「慈覚門人」と記した天台宗僧仙覚が出家したのが慈光寺ではないかと思っていること。慈光寺のご住職にお訊ねしたこともありますが慈光寺は戦火で焼けて過去帳が残ってないからわからないと。でも比企で出家するなら当時関東で最大規模の天台宗寺院だった慈光寺でしょう…
井の頭公園、柳と桜。

オダマキが咲きました。背景は昨日小川町で購入した小川和紙の紅枝垂染め。

4月14日
かつて寄居は桜の町でした。が、老木になり20年前に一斉に伐られて今は面影もありません。それを嘆く寄居の方々が「300品種1万本」の桜を植える活動を始められ反響を呼んでいます。先日のバスツアーで慈光寺に行く前に立ち寄ってお話を聴きました。まだ若木ですが取り組みの写真を数枚ご紹介。
一万本の桜は一箇所でなく、町の至る所に植えられています。まとめて桜の里として、川沿いに、街路に、個人のお宅にも一本等。それで町全体が花を愛する人達になって、これはバスを降りて目に入った個人のお宅の庭です。

荒地だった所を開墾して若木を植えている一帯。何十年後かにはここが桜の山になります。今はミヤマツツジが満開。

満開のミヤマツツジ。

この季節、満開のミヤマツツジにぼんぼりのような枝垂桃の取合せがほんとうに見事です。

壊れたリヤカーがあって目にとまりました。花に埋まって同化しています。紅い枝は花ではなく紅葉の若芽です。

起伏のある里の風景はいいですね。のどか、の語がぴったりでした。桜の若木はまだ全然目立たないです。

以上ですが、ここで午前が終わり小川町へというコースでした。花の里をあまりに堪能してしまって、もう慈光寺へ行かなくてもいいくらいの気持ちになりました(笑)。でも、慈光寺に行ったらそれどころではない感動の充実さ。歴史ある文化の重みは違います。(慈光寺ではあまり写真を撮ってません。)
バスツアーで配られた慈光寺のパンフ。くねくねした山道の参道を登って行った頂上に慈光寺はあります。その山道の両側に桜が植えられています。染井吉野は終わり今は八重が満開でしょうか。

パンフの裏側は植樹されている桜の種類と植えられている場所の地図。

パンフの裏側に「日本さくら歌十選 七」として光厳院御製が。
