2012.12.4 ツイッターからの転載

11月1日
秋が深まってきました。手入れの行き届かいない我が家の庭には秋が似合います。と書いて、『源氏物語』に愛でられる秋は華やかな紅葉。でもそうっとひそかに紫式部は末摘花邸の庭のような八重葎のひっそりとした秋も見事に描いていたのだなあと。

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11月3日
いざ決戦(笑)。今月は毎週鎌倉に通います。時には週に二回行かなくてはこなせないかも。以前毎週撮りに行っていて体調を崩したことがあるので覚悟して回ろうと思っています。なのでいざ決戦!の境地。友人に話したらそういうのをいざ鎌倉っていうんじゃない?って。という訳で鎌倉に向かっています。

9月初旬にドアに挟んで痛めた足の小指が触るとまだ痛くて高いヒールの靴がはけないから背筋をシャキッと伸ばして歩けない気分がとても嫌。実際踵の高い靴は精神的にもいいそうですね。このままだとずうっと体がなまってしまいそう。と、今日もまだ低い靴を履いてでて徒然にぼやいています。

鎌倉の世界遺産登録推進に向けて三館連携特別展 その一 鎌倉国宝館

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鎌倉国宝館の看板、写真を今見たら、「武士たちの信仰と美術」が、「もののふたちの こころと かたち」のルビ。なんか言い得て妙と思ってしまいました。

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2011.3.10 鎌倉の『源氏物語』:パワーポイント再度奮戦記(3)

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『源氏物語』桐壺巻の、「長恨歌」からの引用部分をスライドにしました。京都御所に行った日、あまりに空が綺麗でしたので、この写真を撮っていました。まさか、こんな具合に使うときがくるとは!

「長恨歌」のスライドも作ってありますが、それは自分の写真でなく、漢詩の本からの借用・・・。なので、全面写真には使わずに小さな挿絵になっています。杭州は是非とも行って撮りたい中国です!!

今日、講演を主催してくださる鎌倉の人権・男女共同参画課の方からお電話をいただいてお話したのですが、私は当日行けばいいだけで、準備は淡々とひとり、こんな具合にしてPCに向かっているだけで、普段と変わりない生活をしています。

が、会場を準備される現場の方は大変。当日も、私は一時間前に着けばいいつもりでいたのですが(一時到着予定)、テレビの方が十二時にいらして設置をはじめられるそう。私もその時間に行くことになりました。

行くまで、ほんとうにふだんのとおりの一般的な日常。なのに、行ったら広い会場で、皆様が私に向かって意識を向けて下さり、テレビカメラにずっと撮られてる、ってどんな状況なのでしょう・・・。何か、とんでもないことになっているという気持ちが湧いてしまいました。

今日の編集で一応、七夕関連のスライドは終了。光行の流れをチェックしましたが、これも終わりでいいかな? 明日は比企氏と仙覚関連のスライドを充実させてます。前回は仙覚を軽く通過しましたが、今回は少し写真を増やして、埼玉県比企郡での仙覚・・・小川町の万葉顕彰碑、岩殿観音、などを載せようと思っています。根を詰めると目が充血するので、早めに済ませておかにと・・・

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2011.3.10 鎌倉の『源氏物語』:パワーポイント再度奮戦記(2)

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今回の講演では、鎌倉の『源氏物語』である「河内本源氏物語」が、七月七日の七夕の日に完成したということを軸にお話させていただこうと考えています。

これは、「河内本源氏物語」を完成させた源親行が、奥書に、「嘉禎二年(1236)二月三日始校書。建長七年(1255)七月七日果其篇 朝儀大夫源親行」(東山御文庫本)と記したことによります。親行は七夕の日の完成にこだわったのでした。

そのことを説かれた稲賀敬二先生のご文章を引用させていただきます。私が『源氏物語』享受史にこだわりはじめて最初に拝読したころに出逢ったもので、非常に印象的で、七夕にかけた親行の思いというものがこれによってしっかりと私のなかにインプットされてしまったのでした。

建長六年十二月十八日、鎌倉将軍宗尊親王の御前で源氏を講じた親行は、そのまま鎌倉に滞在し、河内本校訂の最終整理を続けた。建長七年七月七日、親行は長い努力のあとをふりかえって長文の奥書を加えた。

第一巻桐壺は綾小路三品行能に清書を依頼したが、終巻夢浮橋は行能に匹敵する能書家を見いだせず、やむなく親行自身筆を染めて、後日「至洛陽欲清書」と奥書に記した。

間もなく清範朝臣息女に夢浮橋の清書を依頼して念願を果たした時、親行はかつての建長七年七月七日の奥書は改めず、夢浮橋清書の部分のみの辞句を改めて奥書を転記した。

建長七年七月七日「牛女結交之夜」云々の名文と感慨を改めるにしのびなかったのである。
(『源氏物語註釈史と享受史の世界』より)

何故こうまでして親行が七夕にこだわったかについては、私なりの見解があります。それはもうすでにこのブログに何回も書いてきていますが、『源氏物語』第一巻「桐壺」巻に、光源氏の両親である桐壺帝と桐壺更衣が、白居易「長恨歌」の玄宗皇帝と楊貴妃の愛に例えられているからです。すなわち、「比翼鳥 連理枝」と。玄宗皇帝が楊貴妃にそれをささやいたのが七月七日なのでした。

親行は11歳のころ、父光行の遣いで藤原俊成のところに『源氏物語』の不審の箇所を訊ねに行かされています。得てきた解答が十分でなかったので、光行に激しく叱咤され、その後数年ほどかかって自力でそれを解決したというエピソードがあります。親行の学者としての原点ともとれるエピソードで、『原中最秘抄』のなかにあります。

親行にとっての七夕の思いはこのように深いのでした。なので、奥書で「七月七日」にこだわったのでしょう。鎌倉の『源氏物語』である「河内本源氏物語」は七夕の日に完成したのでした!! その親行の思いをこの世に復活させてさしあげるべく、私は今回のお話の軸を七夕の日にと決めたのでした。

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2011.3.6 鎌倉の『源氏物語』:パワーポイント再度奮戦記(1)

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3月15日・・・もう来週に迫りましたが、鎌倉でまた「写真でたどる『源氏物語』の歴史―鎌倉で「河内本源氏物語」ができるまで―」の講演をさせていただきます。昨日5日が新月でしたので、新しい何かをはじめる日とばかりに、講演のためのパワーポイントの編集にかかりました。

昨年秋に鎌倉で一回、その後同じ講演を日野市と府中市でさせていただいています。その都度少しずつ気がついたところを手直ししていっていますので、大分構成が整ってきました。ですから同じものをするならそのままでいいのですが、ふっと急に、そうだ、もっと大胆に変えよう! って思いついたんです。でも、じつはそれが昨夜・・・

大幅な変更を考えたのは構成もありますが、写真の入れ替えもしたくなったのです。それで、最初にまず一点、タイトル部分の新しいものを作ってみました。旧バージョンでは牛車の写真でした。気に入っていたのですが、これも新しく・・・の思いでしてみたら、結構、いいかも・・・

書きたいことはいろいろありますが、目的は編集の一件落着! 道草で手間取っていて本番に間に合わなかったら大変です。昨夜はいろいろあって就寝が明け方。なので眠くてたまりません。取り急ぎ今夜はこの写真のアップで終わりにします。これからまたパワーポイントの編集を、新しく全とっかえみたいな覚悟でします!! 楽しみです(o^-^o)

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2010.11.30 鎌倉の源氏物語講演→《パワーポイント作成奮戦記》再開17・・・11月27日、湘南邸園文化祭の鎌倉投信邸における【紅葉賀】当日の朝、パワーポイントのプロジェクターに繋ぐ設営まで

11月27日の湘南邸園文化祭【紅葉賀】の朝です。会場の鎌倉投信邸に到着したときから、パワーポイントに編集したスライドをプロジェクターに繋ぎ、はじめて映写したときのもようです。この日は発表に備えて、まさかの容易にPCをモバイルとノートの両方を持っていったために、カメラは持ちませんでした。気持ちをPC関連だけに集中したかったからです。なので、これは携帯で撮ったもの。

設営段階の何もない会場・・・というのが私にはたまらない魅力で、撮らないと決めていたにもかかわらず、結局は携帯を出して撮ってしまいました。これは2008年に写真展を開いたときに知った醍醐味。はじまる前のひそかな興奮を内包する静かな空間・・・なのです。はじまってしまうとこれががらっと変わる。そんな直前の光景・・・。当日私が撮ったのはここまで。講演がはじまって以降の写真はありません。どなたかくださらないかな・・・

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1.鎌倉投信邸はこの路地を入った奥。玄関が見えています。古民家で、とても投信というような先端の企業の社屋には見えません。大御堂橋を渡ってすぐの道を曲がったところにあります。

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2.鎌倉投信邸玄関の前。真っ赤な紅葉の出現にビックリしました。宮内流いけばな家元の宮内信江様が、この日のために心血を注ぎいけられた見事な紅葉のアートです。緑があって映える赤。その赤にまた黄色が混じって、それはそれは豪奢なことこの上ない華やぎ。前に立ったとき一瞬息が止まるかと思われたほどの驚きでした。壺を乗せている青竹の台は、鎌倉投信邸の裏山の竹を切り、社員の方が作ってくださったものだそうです。

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3.到着したときにはすでに社員の石塚様が、私のPCを置く台に仮のPCを置いて、プロジェクターとともに準備完了してくださっていました。並べられた三人掛けの椅子は、鎌倉投信社長の鎌田様が建長寺様からお借りしてくださったもの。企画の段階では皆様にお座布団に座っていただいての観覧ということでしたが、それでは窮屈でしょうとの鎌田社長様のご配慮です。

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4.同じ光景を反対側から撮ったもの。窓からの陽射しが綺麗です。中央にある器械がプロジェクターです。

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5.プロジェクターに繋いで、無事スライドが投影されました! 映っているのは実際に部屋を暗くして講演をはじめるまで、明るいまま映しておく用のスライド。「ー紅葉賀ー 於鎌倉投信邸 11月27日 織田百合子」と記しました。仮のPCから変えて私のPCが写っています。このPCでほぼ半年、パワーポイントの作業をしました。懐かしい気のする木の雨戸を閉めて・・・

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6.「源氏物語文化へのいざない」は、書家の奥村由紀子様に書いていただきました。素敵でした。

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7.プロデューサー稲田様が持っていらした在原業平の掛軸。江戸時代の国文学者黒川真頼という方の次男黒川光隆氏の制作です。この日の為にあったような・・・と、稲田様がお家にあったのを思い出されて・・・。ここにも宮内様のいけられた紅葉が映えています! 宮内様はこの紅葉の枝を目測で寸分の狂いもない長さに切ってらしていけられたそう。イメージしてこられたとおりにピタッと嵌まって形が決まったそうです。掛軸と織りなす雅のなんという空間!! プログラムの最後、坂(ばん)様の琵琶はこの床の間を背に演奏されました。演目は「葵の上」。葵の上が主人公とばかり思っていたら、実際は六条御息所。それを坂様が最初に解説されたので、怨念の噴き出るような凄まじい迫力を覚える演奏でした。

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8.宮内信江様が庭にもいけられた紅葉・・・。晴れているとはいえ寒空の中、コートも召さず、お昼も召しあがらずに、ひたすらイベントの開始時刻までの時間を生け続けけられた宮内様。ニューヨークの国連、G7、各国大使館・・・と凄いご活躍をされている宮内様の気魄に圧倒され、固唾をのんで、完成されてゆくいけばなを見守らせていただきました。皆様が帰られたあと、暗くなったので紅葉のライトアップをしました。その時の見事だったこと! これを見ていただきたかったわね・・・と、みんなで惜しみました。

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9.鎌倉投信邸の真新しい青垣です。背後の庭から陽が射していました。清々しい光景・・・

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10.鎌倉投信邸の庭の紅葉の木。この木にちなんで【紅葉賀】と命名したのでした。

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2010.11.28 ツイッターの呟きを転載・・・昨日の湘南邸園文化祭「紅葉賀」における鎌倉の『源氏物語』講演のこと!

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昨日11月27日、鎌倉で湘南邸園文化祭の中のイベントとして、鎌倉投信邸で、鎌倉の『源氏物語』についての講演をさせていただきました。題して「紅葉賀」。それにふさわしい優雅な一日でまだ余韻から覚めません。記事として詳細にまとめたいのですけれど、時間がかかることですし、取り急ぎツイッター上でのツイートを転載させていただきます。

写真は講演に使ったスライドの一番最後、100枚目です。

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odayuriko 1.昨日の湘南邸園文化祭は盛会のうちに終わった。振り返って今回の経緯を記させて頂きます。『尾州家河内本源氏物語』の存在に出逢ったのはもう10年以上も前。鎌倉にこんな立派な源氏物語文化があったなんてと驚き、同時に何故それが一般に知られていないのかが不思議で理解できなかった。(続く)

odayuriko 2.2005年に論文を書く機会を頂いたので、『尾州家河内本源氏物語』の奥書にある北条実時と源氏物語の関わりを探って書いた。そして浮かびあがったのが第六代将軍宗尊親王御所における源氏物語ブーム。実時は幕府の代表として宗尊親王に仕えていた。源親行もいて「河内本源氏物語」を完成させる。

odayuriko 3.2008年の源氏物語千年紀に、私は鎌倉にも立派な源氏物語文化があったことを鎌倉で発信して祝って欲しいと思って訴えた。が、一市井人の声では届かず、急遽「写真でたどる源氏物語の歴史」という写真展を開いて再び訴えた。それを掬いとって下さったのが湘南邸園文化祭の稲田様だった。

odayuriko 4.稲田様は鎌倉でその写真展を開く機会を探して下さったが難航、一年が過ぎた。2009年の冬、稲田様が鎌倉の古い民家を社屋にされている鎌倉投信という会社と出逢う。湘南邸園文化祭は、湘南地方に息づく古民家文化の再生活動をしているプロジェクト。鎌倉投信邸はまさにそれを実践していた。

odayuriko 5.稲田様はすぐに訪ねて湘南邸園文化祭の主旨を伝えると、鎌田社長から会場提供OKの即答を頂いた。但しスペース的に写真展は無理なのでパワーポイントに編集して講演をと。稲田様からその連絡を頂き、はじめて鎌倉投信邸を訪ねたのは2010年になった今年の4月だった。そこで正式に決まった。

odayuriko 6.11月27日と決まったのは鎌倉投信邸の庭に大きな紅葉の木があったから。折角ならあの紅葉が真っ赤に色づく時期にという事で「紅葉賀」の名称も決まった。そして源氏物語文化らしい風雅な一日になるよう、宮内信江様のいけばな、御園井裕芙子様の創作和菓子にお抹茶のふるまい、坂様の琵琶と・・

odayuriko 7.私はパワーポイントの編集をしながら鎌倉の源氏物語文化の推移を詰めて宗尊親王御所での動向に確信を深め、11月23日の予行演習に向けてひとまず完成させ、さらにそれを詰めて当日に臨んだ。スライドは写真、フローチャートを含めて100枚になっていた。

odayuriko 8.予行演習を終えたあと、鎌田社長からダイレクトメッセージを頂いた。「織田さんの美しいプレゼン資料を見て大きいスクリーンに変えました」と。私も予行演習で使ったモバイルPCではなくパワーポイントの編集を実際に作業していたノートを使うことに変更。作業したPCでないと画面がゆがんだ為。

odayuriko 9.当日はまさかの時の用意にモバイルとノートの両方を持参。岡山に出張されていた鎌田社長はツイッターに「織田さんの講義は新しい発見だらけ」と予告して下さり、社員の石塚様に会場でのプロジェクター等の手配をして下さっていた。大きなスクリーンでの上映は見事に映えて皆様に堪能して頂いた。

odayuriko 10.当日の参加者は50名ほど。大半が鎌倉在住の方だった。そして皆様が「鎌倉にいながら今まで知らなかった」と、鎌倉の源氏物語文化を受け止めて下さった。鎌田社長から「何よりも織田さんの心に刻まれるイベントになり最高です」と再び温かいメッセージ。思わず涙が滲みそうになってしまいました。

odayuriko 11.思えば私はずっと戦ってきました。何と戦っていたかというと「従来」という厚い壁です。従来鎌倉は武士の都でした。武士の都鎌倉に源氏物語文化は不要なんです。世界遺産登録に邪魔と闇打ちされるぞと冗談に言われたことも。また国文学世界でも源氏物語研究に鎌倉の源氏物語は不要というのが現状。

odayuriko 12.でも文化は人が作るものです。『尾州家河内本源氏物語』のような立派な写本が突然変異的に鎌倉で成立するなどあり得ません。そこにはそれを成すだけの知性と情熱をもった人達がいたのです。『尾州家河内本源氏物語』はその存在でもってそれを私達に語りかけてきています。素敵なイベントでした。

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2010.11.26 鎌倉の源氏物語講演→《パワーポイント作成奮戦記》再開16・・・いよいよ明日に迫ってきました。凄い会になりそうです!! どきどき・・・

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鎌倉投信邸で講演させていただく「写真でたどる『源氏物語』の歴史―鎌倉で『尾州家河内本源氏物語』ができるまで―」の日も、いよいよ明日に迫ってきました。23日に予行演習をしたあと、私もパワーポイントの編集を見直したり、当日使用するPCをモバイルでなく、パワーポイントの作業を行っているこのPCにしようと決めたところですが、なんと、今朝、鎌倉投信社長の鎌田様が「織田さんの美しいプレゼン資料を見て、スクリーンを大きいのに変えました」と、ツイッターでご報告してくださったのです。朝一番の緊張とはこの事! とばかりに、一気に緊張してしまいました。

当日の演目は私の講演の他に、いけばなの宮内信江様、琵琶の坂様、陶芸の芹川明義様、そして、創作和菓子の御園井裕子様に早稲田の校友会の方々がお茶をたててくださり、というようにそれぞれご本領発揮で場を彩ってくださいます。こんな贅沢な空間、滅多にないでしょう・・・と思われるイベントになりました。

今日はすでに宮内様が鎌倉投信邸で明日に向けての作業を早くからされていられます。プロデューサーの稲田様は飾る紅葉の手配から何から何まで心を配って付き添われて・・・。宮内様は国連やユニセフ、それに伊勢神宮の式典など、それは凄い場でお花を生けてこられている方。先週もニューヨークにいらして国連での活動をされて帰られたばかり。お話を伺うと、明日の会のために、いつもより日程を縮めて帰国されたとか・・・。お花を生けるにはただ花器とお花を揃えて盛るだけでなく、10日とかそれ以上も前からいろいろな配慮の準備が必要なのだそうです。今日は、たぶん、お庭に置いて紅葉を飾る壺を洗ったりするだけでなく、夕刻あるお宅から切って頂戴してきた紅葉を、まず水で洗い、それから朽ちて傷んだ葉を丁寧にとって・・・そういう準備をされるはず。私も当の講演者でなければ駆けつけてお手伝いさせていただきたいところですが、ほんとうに頭がさがります。

でも、ニューヨークの国連で生けていられる方のお花を、明日いらした方はご覧になれるんですよ!! 素晴らしいでしょ。滅多に見られないでしょうものね。申込まれていない方も、そっといらしてお庭を覗いて見られたら! なんて思ってしまいます。

御園井様の創作和菓子も、それは素敵!! 『源氏物語』にちなんで作ってくださるそうです。題して「十二単衣」。どんなお菓子になるのでしょう。お茶は参加者50名にとなると大変なことになりそうですが、器は芹川様が作られたもの。なんなく50個は揃う場面に遭遇して絶句してしまいました。講演のあと、琵琶に繋ぐ合間の休憩に、お茶とお菓子を堪能していただきます。

坂(ばん)様の琵琶は薩摩琵琶です。私も今回坂様のお話を伺う機会が増えて、琵琶への知識がちょっとできました。まず、『源氏物語』にでてくる琵琶や正倉院の琵琶は雅楽の琵琶で、盲目の法師が奏でる平家琵琶とは別ということ。楽の琵琶は楽器を横に寝かして演奏するのだそうです。それに対して平家琵琶は立てて、聴衆に楽器の面を見せて演奏する・・・。盲目の琵琶法師には弦を見る必要がなかったから・・・とかだそうです。

平家琵琶にも流派というか、種類があって、坂様のは薩摩琵琶。他に筑前琵琶があります。上原まりさんは筑前琵琶。撥が小さめでどちらかというと繊細です。それに対して坂様は薩摩琵琶。薩摩藩の武士の琵琶で、いざとなると撥が武器にもなるというほど、撥が大きくできています。坂様は華やかな方でいられますが、風格もあって、薩摩琵琶がほんとうにお似合い。素敵です。坂様のお話は凄いですよ! なにしろ琵琶でもって『平家物語』を生きていられるのですから。稲田様から聞いた話ですが、坂様は「死んだ人は死んでいない!」とおっしゃられるとか。琵琶は鎮魂の楽器なのだそうです。

23日に鎌倉投信邸で予行演習をしたときに、坂様も見てくださっていて、中に仙覚の関係で妙本寺と比企氏に関するくだりがあったので、「貴女、比企氏の系図も作って、そこに島津忠久を入れて、それが薩摩琵琶になったことを入れてよ!!」って。それで昨日作ったのが上に載せたフローチャートです。当日、しっかり、「このあと坂様が琵琶を演奏してくださいますが、それはこの島津忠久が薩摩守になって・・・」とお話に盛り込もうと思っています。嬉しかったですね! 坂様にそう言っていただいて・・・。お陰で仙覚と竹御所のあたりのお話が充実できました。

パワーポイントは、編集するときに使っているPCでないと、プロジェクターにかけたときに画像が崩れるという事は知っていましたが、あえてモバイルを出して持っていって使ったら、案の定、写真のバランスが崩れてしまいました。ご覧になる方にさしつかえるほどではなくても、見る方が見たらわかります。大変でも、この大きなノートPCを持っていこうと決めました。せっかくですものね。そうしたら、鎌田社長様まで大きなスクリーンに変えて下さったとのこと。絶句して、「どうしよう。どんどん大変なことになって」と言ったら、主人が「いいじゃないか。小さなのに変えましたって言われるより・・・」ですって。大笑いしました!!

これから、このノートPCでプロジェクターの練習に入ります!!!!! それにしても、鎌田社長様のツイッター、「思う存分講演してください」には恐縮の至りとともに嬉しかったです・・・

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2010.11.24 ツイッターから転載・・・昨日の鎌倉講演予行演習のようす!

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昨日、27日の講演に向けて、会場を提供していただく鎌倉投信邸で、予行演習をしました。そのようすを呟いたツイッターを転載させていただきます。

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odayuriko 昨日は鎌倉投信邸で27日の本番を控えての予行演習。琵琶の坂様、いけばなの宮内様方と過ごす。ご専門の含蓄深いお話を伺う有益な一日。鎌倉投信邸では新しい青竹の垣根が造られていて27日に完成を観るのが楽しみ。情趣ゆたかな凄い一日になりそう。歴史の深さがそれを可能にするのだと感慨。

odayuriko パワーポイントで編集したのをはじめてプロジェクターで投影。鎌倉投信社長の鎌田様も聴衆に加わって下さる中で駆け足でひととおりを話す。終わって鎌田社長に写真が綺麗ですねとおっしゃって頂く。『源氏物語』の催しにふさわしい華やかな画像をあえて選んだのが報われた思い。皆様からの反応は・・・

odayuriko 坂(ばん)様の琵琶は薩摩琵琶。そうでなくても琵琶といえば平家物語。坂様の最初の一言が「こんなに平家が関係してるとは思わなかった」。プロデューサーの稲田様は「なんだか平家物語の講演を聴いた気分」。河内本源氏物語編纂の源光行が平家に仕えていて王朝文化に染まった人物を強調した結果。

odayuriko 今まで定家や光行が青表紙本や河内本源氏物語を作ったといわれても背景が語られることはなかった。でも二人は二十歳過ぎまで平家の人と交わりたっぷり平家文化の恩恵を受けて育った。それが文学に反映しないわけがない。青表紙本と河内本源氏物語はその産物というのが私の主旨。それを理解して頂けた。

odayuriko 「―写真でたどる『源氏物語』の歴史―」という講演。厳島神社や宇佐八幡宮社殿の圧倒的な朱の画面。語らなくてもその時代に生きていたら染まるだろうことが納得できる。ビジュアルの効果。これを話すだけの講演でしたら難しい内容になってしまう。写真家ならではの方法をこれからも編み出したい!

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2010.11.22 昨夜のツイッターの呟きから・・・お茶の水図書館「竹柏園本万葉集」を拝観して

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昨夜、お茶の水図書館の展示【竹柏園本万葉集】を拝観して思ったことの呟きをツイッターから転載します。

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odayuriko 今日は快晴。今日から鎌倉の講演用のパワーポイント編集をプロジェクターを使っての練習に入る。スライド毎のコメントをつけていたのだけれど、それを止めてぶっつけ本番のように始めてみようと。使用するモバイルPCもしまいっ放しだったし、まずは機械のチェックから。ちょっと緊張・・・

odayuriko 昨日のお茶の水図書館「竹柏園本万葉集」展示を拝観してのこと。待望の『西本願寺本万葉集』は四冊展示されていた。一見して四冊とも筆跡が違った。先に完成していた『尾州家河内本源氏物語』54帖も複数の人物による筆跡。同じ筆跡があるか20巻と54帖を見比べてみたい。どうなるだろう・・・

odayuriko それよりも驚いたこと! 源親行の花押といわれる奥書をもつ『古葉略類聚鈔』。建長二年の書写。将軍は第四代頼経の時。頼経が親行と仙覚に『万葉集』の校訂を命じた。仙覚の万葉学者としての始まり。親行は『源氏物語』に戻って建長七年に「河内本」を完成させる。建長二年書写者は親行の可能性・・・

odayuriko 連投します・・・ならば、『古葉略類聚鈔』の筆跡が『尾州家河内本源氏物語』奥書の「正嘉二年実時書写」の筆跡と同一だったとしたら、との思いで帰宅して調べた。結果は、別人で気落ち。同一人物だったら『尾州家河内本源氏物語』奥書は親行が書いた?となったのにと。でも、両者の筆跡を並べて見たい

odayuriko 親行の筆跡かもしれない『古葉略類聚鈔』。その筆跡は凛として堂々として綺麗だった。まさに私が親行に対して抱いていたイメージ通り。「河内本源氏物語」は父光行の業績の声大だが、私は親行も光行に勝るとも劣らない文学者だったと感じている。この時代を小説にするなら主人公にしたいくらい・・・

odayuriko 今日は予定したほどには作業が進まなかった。が、レーザーポインター付きのプレゼンターを購入。ヨドバシカメラ吉祥寺店が近いのでいつでも買えると思っていたが、在庫が殆どない。訊くと「あまり売れないから」と(笑)。色やデザインを選ぶこともできずに頁送りとレーザー付きは一機種しかなかった。

odayuriko 先の呟きのプレゼンターの件で・・・、一機種しかなかったというのは予定していた形状で予算内ではのこと。条件を広げればたくさんありました。でも、購入した機種のレーザーポインターの光は緑。赤が一般的で、緑の方が見やすく高価なのだそう。緑・・・でよかった!

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追記:
『西本願寺本万葉集』20巻全部の書写者の筆跡に、『尾州家河内本源氏物語』の実時書写奥書と同じ筆跡があるかこそ、見てみたいと気がつきました・・・。奥書にある文字を含む歌を各巻から探して照合すればいいんですよね・・・。時間があったらするのだけれど・・・

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2010.11.20 【お茶の水図書館所蔵 竹柏園本万葉集展示会】を拝観してきました!

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今日はとてもいい日でした! 何故って、『西本願寺本万葉集』をはじめてこの目で見ることができたんです!!

『西本願寺本万葉集』は現在お茶の水図書館の所蔵になっています。来歴を記しますと、鎌倉で成立したあと、金沢文庫に収められ、鎌倉の滅亡時に流出して足利将軍家の所蔵となり、足利義満が皇室に献上。天文11年に後奈良天皇から西本願寺に下賜されたために、『西本願寺本万葉集』と呼ばれています。

『西本願寺本万葉集』は『尾州家河内本源氏物語』と同じ装丁をもつ万葉集です。足利将軍家の所蔵まで来歴は一緒です。その後、西本願寺に渡ったのと、徳川家康に渡ったのとで、現在の所蔵先が分かれているのと、現在一緒の誕生だったことが語られていないという実情になっています。

竹柏園本というのは、佐々木信綱博士が収蔵された古典籍です。博士の寄贈でお茶の水図書館の所蔵となっています(このところ、曖昧かもしれませんが、大筋のところと解釈してください。済みません)。

そのお茶の水図書館で、今日20日の一日のみ、貴重な『万葉集』関係の古典籍の展示をしてくださるというので行って参りました。お世話になっている金沢文庫の学芸員さんから教えていただいた情報です。(いつも有難うございます!!)

冒頭の写真は会場で頂いた展示リストです。パンフレットはなく、資料としてはこの一枚だけで、写真撮影も禁止・・・という状況でしたので、必死になって書き込んだものですから、汚くなっています。でも、写真が無理なら、せめて筆跡の感じだけでもと、一生懸命似せて写した花押もありますから、目を凝らしてご覧になってください!

展示は、最古の『万葉集』の断簡からはじまって江戸時代のものまで、すべて見応えある素晴らしいものでした。江戸時代のものには賀茂真淵や本居宣長の自筆のものまで展示されていて・・・。でも、こうして通観してみると、ほんとうに時代時代によって書写の雰囲気、筆跡・書体の違いがありますね。江戸時代になると、本居宣長のような大家の方のでさえ、ノートとかメモといった学術的書込み的ですが、古いものには大切なものを描き残そうとする畏怖・敬虔が感じられて目が吸い寄せられます。字も堂々として・・・

で、展示の『西本願寺本万葉集』ですが、巻8、巻10、巻14、二十帖の四巻を拝することができました。私が関心を寄せているのは、『尾州家河内本源氏物語』と同じ装丁ということで、表紙をじっくり観察させていただきたかったのですが、『万葉集』は歌の世界ですから、中を開いた歌のページばかりの展示・・・、閉じた形で表紙がよく見える展示ではありませんでした。それは仕方ないのですが、「二十帖」の背後に表紙が添えられていて面影を推察することができました。『尾州家河内本源氏物語』と全く同じかどうかは並べてみなければわかりませんが、似たような藍色の表紙に綴じ方をした大型本・・・ということで、『尾州家河内本源氏物語』と同じとみていいのでしょう。(これが今日訪ねた最大の目的です。)

4冊拝観したわけですが、全部別人の筆跡で、これだけでも4人の人がかかっている?・・・といった感触です。ということは・・・などと、私のなかでは宗尊親王更迭後の御所に残った人々の動向のなかでの書写状況を思ってしまいました。

今日、このブログに最も記しておきたいのは、展示の中に、源親行のものかもしれない冊子があったんです!! それは『古葉略類聚鈔』といって、建長二年に書写された奥書があります。「河内本源氏物語」が完成するのが建長七年。親行は最初、第四代将軍頼経に命じられて『万葉集』の校訂をしています。それをただ一人の校訂では誤りもあるだろうからと、頼経は二番目に仙覚に同じ作業を命じます。それが発端で仙覚は『万葉集』研究者になり、親行は『源氏物語』に戻って「河内本源氏物語」を完成させるのです。

建長二年はそういう状況の頃・・・。キャプションの「奥書の花押は親行」という一説があるというのを読む前から、私も「もしかして親行の書写本?」と思ってしまいました。で、展示室の方に鉛筆をお借りして必死になって写してきたキャプションをご紹介させていただきます。写真の右端に書き込んだそれです。

建長二年(1250)の書写。『万葉集』の歌を類聚編纂したもの。現存する五冊のうちの一冊。筆者は明記されていないが、巻末に「建長二年九月十二日書写之 花押」の奥書があり、この花押を一説では「親行」と読んでいる。原三渓旧蔵。箱書は富岡鉄斎筆

この奥書が親行のものとしたら、もしかして『尾州家河内本源氏物語』奥書の「正嘉二年実時書写」と同じ筆跡だったら・・・とのひそかな期待を抱いて帰宅。早速『尾州家河内本源氏物語』「夢浮橋」巻巻末の奥書を見たのですが、明らかに別人でした。『尾州家河内本源氏物語』奥書の方が弱々しい・・・。親行の筆跡かもしれない『古葉略類聚鈔』の筆跡は堂々として、とても綺麗な癖がある字で、書きなれてしかも自信のある人物・・・といった感じ。私が想像している親行の人物像ならそうだろうといった素敵な書体でした!

この展示を拝観するまで、じつは落ち着きませんでした。この目で『西本願寺本万葉集』を見たことがなかったからです。いくら高名な先生方の調査結果といえど、『尾州家河内本源氏物語』と『西本願寺本万葉集』が同じ装丁というのは、確かめてみなければほんとうにそうか自信ありませんよね。違ったらどうしよう・・・との思いがずっとあって、それで今日まで講演のためのパワーポイントの編集も一目散の集中にならなかったのは確かです。

今日、両者を並べてみて明らかにぴったりというのではありませんが、一応、「これなら同じなのだろうな」という感触を得ましたので、これから先へ進みたいと思います。講演はもう一週間後に迫っていますし、その前に一度プレをしますので、今日・明日にでも編集を終えたいところ・・・。もう脇目をふっている時間がありませんので、やっと拍車をかけて仕上げる覚悟が座りました。明日からプロジェクターを出して動かしてみます!

(それにしてもメモの文字の汚いこと! )

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