2021.12.29 Twitterから転載…仙覚の『万葉集』にかける思いの根本問題を提示して頂いた大浜厳比古『万葉幻視考』についてまとめました

12月21日

眠くてたまらないのだけれど忘れないためにツイート TLのある方のブログで大浜厳比古という方の『万葉幻視考』を知り もしかしてこれこそ求めていた本 の気がして古書で注文しました 待ちきれない思いで検索して別の方のブログを拝読していたら『万葉集』は非業の死を遂げた人たちへの鎮魂の歌集で

はないかと 衝撃を受けて まさに これだ! と思ったのでした 仙覚さんが『万葉集』に惹かれた意味は これは昨夜呟いたなぜ比企氏が滅ぼされなければならなかったかの解明にある の次元を超えてはるかに深いです 仙覚さんは一族も含めての非業の死を遂げたものへの鎮魂として『万葉集』を見てい

たのだと それを文学の友に語ったら それってエイゼンシュタインじゃないと 粛清された人たちを映画に出すわけにいかないからエンドロールに全員の名前を載せたそう 彼曰く やっと世界文学の次元に入ってきたね だそうです でも とその続き なんで今までそれに気がつかなかったの? と

そうなんですよね 私は『万葉集』のプロでないからそれはもう一心に調べました でも歌の解釈や歴史の解説はあっても琴線に触れるご考察に出会わなかった 水底の歌が初めてです 梅原猛氏曰く「詩心」があるか否か なのです 大浜厳比古氏の『万葉幻視考』には梅原氏が解説を書かれているそうです

 

12月22日

まだ大浜厳比古『万葉幻視考』を開けていないのですが 予習のためと思って探した何方かのブログに 大浜氏は万葉集巻頭の二首が雄略天皇と舒明天皇で始まる意味として その二人の天皇の間にたくさんの非業の死を遂げた皇子がいるとあって なぜかその一人として有間皇子が心から離れません

 

12月23日

梅原猛氏序では大浜厳比古氏を詩人の想像力ある人として書き進められてましたが 坂本信幸氏解説を拝読したら 大浜氏は詩人を志した人で 詩人になるか学者になるか悩んだほど 坂本氏が詩作品を挙げてられて拝読したら 震えました 大浜氏ご自身が好きでいらしたという関門海峡 ああ 私ももう好きです!

こういう詩から離れて幾久しくなっていた と なんか 離れていた日々を悔恨

僭越ですが 大浜厳比古氏『万葉幻視考』冒頭の「いまや私は胸底の独語をさらけ出して私の『万葉集』論を問うてみようと思う。それをすることは実は作家を論じ、作品を論ずることにつながるからである」が 『仙覚ー存在を消して生きた男」冒頭の玄覚の独白「体力のある今のうちに、私はこれを書くことにしよう。いつか彼のことを知りたいと思う人は現れる。そのとき、その人たちの知るよすがとなるように、私は書く。そのために、私は、こうして机に向かって筆を執った」に重なって覚えられました なにか 精神構造が似ています

12月24日

大浜厳比古氏『万葉幻視考』から引用させて頂きます:『記紀』に史実として記されたわが古代の生々しさは、『万葉集』では捨象された。しかしそれは決して単なる捨象ではなかった。敏感で、繊細で、優しいわが万葉びとは、悲涙と慟哭のかわりに、『記紀』にさらし者にされているそれら怨霊たちを、『万葉』の世界にいたわりかくまった。そういう捨象であったのだ…… 歌と歌との空白は、実はカタリの世界であった。人々はカタルであろう。ウタのいわれを。カタラれるたびに霊は偲ばれ慰められる。散文のはいる余地などさらさらなかったのである。歌々はその間の空白に怨霊たちをかくまっている。その歌が、鎮魂の歌でなくてなんであろう。

 

12月25日

捨象 抽象を行う場合にそれ以外の特徴を捨て去ること シャショウ の語を使ったことないし初めて見たばかりなのにまた と気になって検索しました 『万葉幻視考』で大浜厳比古が「『記紀』に記された古代の生々しさは『万葉集』では捨象され」と書き 『牧野虚太郎詩集』の解説で鮎川信夫が「初期の詩では全く捨象されていた人間的な心理の闇」と書く

たまたま私が大浜厳比古氏の詩作品に牧野虚太郎を感じ 本棚の奥から取り出した詩集なのだけれど やはりどこかつながっているよう 早世した牧野作品は12篇しか残ってなくて 作品より解説ページが長い詩集です

その12篇を読んだのだけれど 改めて言葉の繰り出し方が凄いとしみじみ 清水昶先生の詩塾に通っていたとき 文章はつぎにくる文章があっと意表をつく文章が凄いと教えられた それで私は読むときも書くときもそう心がけているのだけれど 牧野作品はまさにそう それがモダニズムなのだとしても

 

12月26日

深夜 牧野虚太郎の詩のモダニズムについて呟いたら そうだ 吉田一穂もだったと思い出し 久々に白鳥を読みました 牧野虚太郎の復讐をどの詩が一番好きか問われたらこの詩 と先日呟いたけど 白鳥 もありました どちらも一番好きな詩です笑 私はモダニズム詩が好きなのでしょうか 考えたことなかったけど

 

びっくり! こんなふうに繋がってくるなんて コトバンク「知恵蔵」のモダニズムの解説: モダニズムのピークは、間違いなく、世界的同時性をもって展開された1920年代にあった。プルースト『失われた時を求めて』、ジョイス『ユリシーズ』、エリオット『荒地』、ウルフ『灯台へ』などがあげられる。

 

詩でしかモダニズムを考えたことなかったけど 散文においてもあったのですね そして まさにそれがプルースト ジョイス…… 小説作法として川端康成とか個々について学んできたけど 結局私はモダニズム体系のなかで文筆修行をしていたということのよう 惹かれるわけですね

 

言葉の繰り出し方としてモダニズムをもっと知りたいと思いましたが また探及世界の沼に入っていきそうだから止めて 仙覚さんの小説に戻ります 書くこと自体モダニズム世界にいたようだから

 

なんか気になってやり過ごすことができなくてエリオット『荒地』を検索していました やっとわかったこと それは現代の感性においての危機感の欠如 モダニズムがどうとか そういうことでなく エリオットも田村隆一も おそらく牧野虚太郎も あの西脇順三郎でさえ 戦後の荒廃した大地と人心 そういうことの危機を現実にまざまざと目にして生きていたんです エリオットは第一次大戦後の 

 

私が仙覚を書きながらなんか手ぬるいと感じて書き進めないでいたのは いくら東北の震災とかコロナとか現実が目の前にあってもエリオットや田村隆一のようには自分のこととして感じられてない いつかしら現代人はほんとうに殺伐とした危機 生存の危険 を生々しく感じることのできない人種になってしまっているんですね 比企一族を滅亡に追いやられた仙覚さんの危機感を理屈ではわかっていても書けるわけがありませんでした 反省を込めてこれから考えていきます

 

と呟いて 昨日の「捨象」が生きてきました 『万葉集』は非業の死を遂げた人々の悔しみ悲しみの生々しさを 牧野虚太郎の詩も現実の生々しさを 捨象することで それらに対しての鎮魂に飛翔 生々しさに決して目をそらさず けれど書かない これだったのです 仙覚さんを書く方法は

 

自分のなかの生ぬるさを撲滅しなければ・・・ これはかなり難しいです(なぜなら平和のなかに生きているから 平和のなかで育ってしまってきたから いくら先に危険が見えていてもまだ現実として見えてないから)

 

12月27日

大浜厳比古氏『万葉幻視考』からとても長い時間をかけて『万葉集』における捨象の意味を掴み取った気分なのだけれど ふと手帳を見たらまだ一週間経っていない 先週の明日はまだ仙覚と源氏物語の関係について考えていました その後『万葉幻視考』が届いて 牧野虚太郎にいき 今日のモダニズム たった数日だったなんてと 仙覚の小説を書く根本をつかんだ濃密さに対して驚いています 結局数年近く書けなかったのはこの根本をつかんでなくて ただ仙覚は誰かを広めるため などという表面的な事柄でしか書こうとしていなかったからなんですね 急転直下の意味の変容でした

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2021.12.26 Twitterから転載…捨象ということ! 仙覚を書くということについての根本に突き当たりました

12月25日

捨象 抽象を行う場合にそれ以外の特徴を捨て去ること シャショウ の語を使ったことないし初めて見たばかりなのにまた と気になって検索しました 『万葉幻視考』で大浜厳比古が「『記紀』に記された古代の生々しさは『万葉集』では捨象され」と書き 『牧野虚太郎詩集』の解説で鮎川信夫が「初期の詩では全く捨象されていた人間的な心理の闇」と書く 

 

たまたま私が大浜厳比古氏の詩作品に牧野虚太郎を感じ 本棚の奥から取り出した詩集なのだけれど やはりどこかつながっているよう 早世した牧野作品は12篇しか残ってなくて 作品より解説ページが長い詩集です

 

その12篇を読んだのだけれど 改めて言葉の繰り出し方が凄いとしみじみ 清水昶先生の詩塾に通っていたとき 文章はつぎにくる文章があっと意表をつく文章が凄いと教えられた それで私は読むときも書くときもそう心がけているのだけれど 牧野作品はまさにそう それがモダニズムなのだとしても

 

12月26日

深夜 牧野虚太郎の詩のモダニズムについて呟いたら そうだ 吉田一穂もだったと思い出し 久々に白鳥を読みました 牧野虚太郎の復讐をどの詩が一番好きか問われたらこの詩 と先日呟いたけど 白鳥 もありました どちらも一番好きな詩です笑 私はモダニズム詩が好きなのでしょうか 考えたことなかったけど

 

びっくり! こんなふうに繋がってくるなんて コトバンク「知恵蔵」のモダニズムの解説: モダニズムのピークは、間違いなく、世界的同時性をもって展開された1920年代にあった。プルースト『失われた時を求めて』、ジョイス『ユリシーズ』、エリオット『荒地』、ウルフ『灯台へ』などがあげられる。

 

詩でしかモダニズムを考えたことなかったけど 散文においてもあったのですね そして まさにそれがプルースト ジョイス…… 小説作法として川端康成とか個々について学んできたけど 結局私はモダニズム体系のなかで文筆修行をしていたということのよう 惹かれるわけですね

 

言葉の繰り出し方としてモダニズムをもっと知りたいと思いましたが また探及世界の沼に入っていきそうだから止めて 仙覚さんの小説に戻ります 書くこと自体モダニズム世界にいたようだから

 

なんか気になってやり過ごすことができなくてエリオット『荒地』を検索していました やっとわかったこと それは現代の感性においての危機感の欠如 モダニズムがどうとか そういうことでなく エリオットも田村隆一も おそらく牧野虚太郎も あの西脇順三郎でさえ 戦後の荒廃した大地と人心 そういうことの危機を現実にまざまざと目にして生きていたんです エリオットは第一次大戦後の 

 

私が仙覚を書きながらなんか手ぬるいと感じて書き進めないでいたのは いくら東北の震災とかコロナとか現実が目の前にあってもエリオットや田村隆一のようには自分のこととして感じられてない いつかしら現代人はほんとうに殺伐とした危機 生存の危険 を生々しく感じることのできない人種になってしまっているんですね 比企一族を滅亡に追いやられた仙覚さんの危機感を理屈ではわかっていても書けるわけがありませんでした 反省を込めてこれから考えていきます

 

と呟いて 昨日の「捨象」が生きてきました 『万葉集』は非業の死を遂げた人々の悔しみ悲しみの生々しさを 牧野虚太郎の詩も現実の生々しさを 捨象することで それらに対しての鎮魂に飛翔 生々しさに決して目をそらさず けれど書かない これだったのです 仙覚さんを書く方法は

 

自分のなかの生ぬるさを撲滅しなければ・・・ これはかなり難しいです(なぜなら平和のなかに生きているから 平和のなかで育ってしまってきたから いくら先に危険が見えていてもまだ現実として見えてないから)

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2121.12.25 Twitterから転載…大浜厳比古氏『万葉幻視考』と出逢い、仙覚がなぜそこまで『万葉集』にこだわって生涯をかけたかがわかりました

前回の梅原猛氏『水底の歌』でひらけた仙覚さんの小説の続きです。私が『水底の歌』に震えるほどの触発を得て仙覚さんの小説の展開を見たと思ったら、Twitterで、それをツイートした私の思いを受け止めて大浜厳比古氏『万葉幻視考』を教えて下さった方がいらして、古書で購入して拝読しました。そうしたら『水底の歌』で見えたと思った仙覚さんの『万葉集』にかける思いがまだそれは表面的で、もっと深く、仙覚さんは生涯を書けて『万葉集』に取り組む運命だったのだということがわかって震撼としています。

これがわからないから、ただ表面的に、仙覚は学問として『万葉集』に取り組んで完成させたとしか思えていなかったのでした。大浜氏のご論は、『万葉集』には「非業の死を遂げた人々の怨念が歌と歌の行間に隠されている」と。

これは、まさに、滅ぼされた比企一族の残党である仙覚さんの思いです。行間に隠された思いを歌を読み解くことで鎮魂になる、というその『万葉集』。仙覚さんは「鎮魂」の思いを持って生涯を『万葉集』にかけたのでした。

以下、長くなりますが、『水底の歌』以降からの展開をTwitterから転載します。

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12月21日

おはようございます 最初に従来の万葉集の見方に違うものがあることを教えて頂いたご本 『狂歌絵師 北斎とよむ古事記・万葉集』です 驚いて長屋王を知るべく里中満智子さんの長屋王残照記を読んだり そこに本当に偶然と思うのですが必然のように水底の歌が 北斎を読んでいなかったら無理だったかも

結局は鎌倉ペンクラブ公開講座で比企一族にさせて頂いたことに始まるのですが そこに岡林様がいらして下さって そのために北斎を事前に読んで そうしたら受講後のツイートで比企の乱と長屋王の乱が相似形と教えて下さって そこに水底の歌が重なってきた そして『万葉幻視考』が発送されたとメールがきました

昨夜 こういうことを打ち明けた知人に それにしてもなんでそこに気づくまでそんなに時間がかかったの? と呆れられましたが 万葉集研究を見渡しても従来の説に席巻されている現状ではひとりで探していても目に入らなかったということなんですね 仙覚さんの小説 動き出すのに五年かかりました

小川靖彦先生『仙覚と源氏物語』拝読しました 国会図書館遠隔複写で関西館から届いて なんかとても懐かしい感じで拝読 小川先生の『萬葉学史の研究』が私の原点で そこから派生しての実時との関係とかでした そこに紫式部が加わって 最後の三行は紫式部の本領を余すところなく書かれて凄絶で思わず感嘆

実は 仙覚さんの小説を書き始めた最初の時から 仙覚の母親たる人を源氏物語のファンという設定で書いていました 源氏物語を読んでいる人は人生の大変さを知っているから どんな状況でも適格な判断ができる として その判断が比企の乱勃発の時 即座に鎌倉を脱出させたから仙覚を生むことができたと それを聞いて育ったから 仙覚はお母さんを思う時 背後に源氏物語があって それで万葉集の研究とは別に源氏物語を読んでいた と そう書こうと思っていたのですが ご論考を拝読して無理でない設定と思いました

眠くてたまらないのだけれど忘れないためにツイート TLのある方のブログで大浜厳比古という方の『万葉幻視考』を知り もしかしてこれこそ求めていた本 の気がして古書で注文しました 待ちきれない思いで検索して別の方のブログを拝読していたら『万葉集』は非業の死を遂げた人たちへの鎮魂の歌集ではないかと 衝撃を受けて まさに これだ! と思ったのでした 仙覚さんが『万葉集』に惹かれた意味は これは昨夜呟いたなぜ比企氏が滅ぼされなければならなかったかの次元を超えてはるかに深いです 仙覚さんは一族も含めての非業の死を遂げたものへの鎮魂として『万葉集』を見ていたのだと

12月22日

まだ大浜厳比古『万葉幻視考』を開けていないのですが 予習のためと思って探した何方かのブログに 大浜氏は万葉集巻頭の二首が雄略天皇と舒明天皇で始まる意味として その二人の天皇の間にたくさんの非業の死を遂げた皇子がいると

美 の問題なんだなあ とかすかにそんな気がしてきました 夕刻 遠くに綺麗な夕景を見て 美 はふつうに生活のなかにある でも気がつかないとないのと同じ それくらい 美 が大切なものなら仙覚は万葉集にその美を受け取ったのではないかと 非業の死を遂げた人の歌がどうしてこれほど美しいのか 自身が非業の死を遂げた身内の只中にいるから その胸中と相容れないはずの 美 その胸中のうつうつとしたどす黒いものを乗り越える意味が万葉集にあり それが 美 ではないかと まが幻視のご本を拝読できていないから その前にふっと湧いた私論を呟いておきます

おじいさまあ この人って殺された人でしょ 自分が死ぬというのにどうしてこんなに美しい歌を詠めるんですか? と 少年仙覚が育ててくれている刑部に質問する そんな会話が浮かんだりしています

やっと 大浜厳比古氏『万葉幻視考』を開きました 梅原猛氏序を終わってこれだけでもう甲斐あったといいたいくらい本質をついてられます(哲学者梅原猛ですものね)  今まで私は権威に対して疑うことなく敬服していたから漠然と抱いていた違和感があっても見過ごしていた感情を明確にされて目から鱗です

「氏は天成の詩人であったと私は思う。遺稿となったこの著書を読んでも、ところどころにすばらしい美しい言葉がある。それは、全体の意味を離れて、言葉が透明に、大浜流の表現を借りれば、清明に光り輝いているのである。こういう言葉に学術論文でお目にかかれるのは、稀というより皆無であろう」

梅原猛氏序では大浜厳比古氏を詩人の想像力ある人として書き進められてましたが 坂本信幸氏解説を拝読したら 大浜氏は詩人を志した人で 詩人になるか学者になるか悩んだほど 坂本氏が詩作品を挙げてられて拝読したら 震えました 大浜氏ご自身が好きでいらしたという関門海峡 ああ 私ももう好きです!

なんか 牧野虚太郎の詩が浮かんで ほんとうに好きだった詩 関門海峡がなんか似ている気が こういう詩から離れて幾久しくなっていた と なんか 離れていた日々を悔恨

12月23日

おはようございます 『牧野虚太郎詩集』 本棚の奥から出しました 開いてもう心震えました ランプをあつめればの「復讐」 生涯で一番好きな詩はと聞かれたらこれです 詩篇を引用していいかわからないので慎みますが この詩に浸って過ごしたかつての日々 でも不思議なのですが これ 仙覚さんに通じます

解説の鮎川信夫「虚太郎考」を見たらブルーのインクで傍線や書き込みがいっぱい 今は読んだら本を差上げるのを前提で読むから書き込み自粛してますが 当時は何も考えずひたすら読んで反芻して浸っていたのですね でも この本は絶対に手放しません

次のページの「神の歌」 水の悔恨がたえまない とか それより前のページの「鞭のうた 」 ひっそりとそれさへも など 私の文章の繰り出しかたはここに原点がありました そんな気がする

仙覚は大浜氏と同じ透視をして万葉集を見ていたのだと思う なかに三谷栄一氏の文章が引かれていたけど 「この種の文学は、文字に表現されないところに、その姿があるのであるから、二十世紀の今日に於いては理解することさえ不可能な領域である。古代文学の研究は、分析力により、想像力によって、その内容が深まる」 これですね! 古代の感覚で『万葉集』を見たのが仙覚 仙覚には直観でありありと『万葉集』の背後にうごめく非業の死を遂げた人々が見えたのであり なのにそれらの人たちの詳細を書かずにひたすら清明な歌の集であることの鎮魂を感じとって打たれた 仙覚がなぜ『万葉集』に生涯をかけたかの謎が解けて 私はやっと「仙覚ー存在を消して生きた男」の原稿に心置きなく戻れます

12月24日

おはようございます 今日から仙覚の原稿に戻りますが 牧野虚太郎「復讐」から 誰もゐないと言葉だけが美しい をエピグラフにしようと考えています 仙覚さんの万葉集が見えてきました

大浜厳比古氏『万葉幻視考』から引用させて頂きます:『記紀』に史実として記されたわが古代の生々しさは、『万葉集』では捨象された。しかしそれは決して単なる捨象ではなかった。敏感で、繊細で、優しいわが万葉びとは、悲涙と慟哭のかわりに、『記紀』にさらし者にされているそれら怨霊たちを、『万葉』の世界にいたわりかくまった。そういう捨象であったのだ…… 歌と歌との空白は、実はカタリの世界であった。人々はカタルであろう。ウタのいわれを。カタラれるたびに霊は偲ばれ慰められる。散文のはいる余地などさらさらなかったのである。歌々はその間の空白に怨霊たちをかくまっている。その歌が、鎮魂の歌でなくてなんであろう。

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2021.12.8 ツイッターから転載…梅原猛『水底の歌―柿本人麿論―』に着想を頂き、華鏡は『華鏡―仙覚論―』になりました

12月5日

梅原猛『水底の歌』より: とすれば「原万葉集(巻1.2)」の思想ははっきりする。それはたしかに鎮魂の、悲劇の死をとげた皇子や朝臣たちの、わけても律令権力の犠牲となった柿本人麿の鎮魂の歌集である。しかし、その鎮魂には、ちょうど後世の菅公の場合がそうであったように、一つの政治的ねらいが秘め

 

られている。人麿を死に追いやった藤原権力の告発という、ひそかな無気味なねらいを、この歌集は秘めている……まさかここに辿り着くとは と驚いた一文 紫文幻想で菅原道真をやり 比企の乱の仙覚を追ってきた私には痛いほどわかるこの一文 水底の歌は帯に国文学界と対決するとあるように 一般説と認め

 

られていないどころか批判されているようですが それは私の仙覚も同じ 敗者は勝者によって厳重に幾重にも隠蔽されているから文献などの証拠が残っていません だから心で推測するしかないんです 水底の歌はそういうご本でした

 

初印字して『華鏡 ー万葉集&源氏物語論』を書き始めているのですが 水底の歌の他にきちんと古代史を読んでおこうとしたら 梅原猛氏がいわれる詩心ない文章はこちらの高揚まで削いでなにもかもつまらなく感じていってしまうので もう読むのを止めました 水底の歌一本でいきます

 

ん? もしかして と大変なことが見えてきました これ 仙覚論として書けます 『華鏡 ー仙覚論ー』 書いていて気がつきました たぶんここに極まれりです これでいきます

 

12月6日

『万葉集』巻二の柿本人麿の死をめぐっての歌五首を入力しました 妻依羅娘子の歌にある「貝に交りて」の語の意味は水死だそう 人麿は水死したのです この語の意味が後世ではわからなくなっていて人麿の死が不明でした が ここに仙覚が登場します 仙覚は『万葉集注釈』に「宇治の物語の蜻蛉の巻にも」と

 

浮舟が水底に沈んでいることをさして注釈しているのです つまり仙覚は人麿の水死を知っていました 華鏡冒頭に人麿の辞世の歌を載せて書き始めての早々の仙覚登場 そして万葉集だから大伴家持とか旅人が出てきます 当然令和の出典の『西本願寺本万葉集』に触れて書きます そうしたらもうまた仙覚登場

 

『西本願寺本万葉集』は仙覚が作った万葉集を底本にしている万葉集です 仙覚は鎌倉時代中期だから華鏡後半にしか書けないと思っていたのに冒頭から! 仙覚論として書けるとなった所以です

 

久しぶりに出してみました 中野幸一先生『正訳源氏物語』蜻蛉巻 仙覚が水底に沈む浮舟のイメージを柿本人麿の妻の歌「貝に交りて」の解説に使った文章の確認に 源氏物語は何回も読んでいるのに まさかこういうところで紫式部が万葉集の語を知っていたなど深読みできませんでした

 

びっくり 仙覚が『万葉集註釈』に書いた「貝に交じりて」の解説で『源氏物語』蜻蛉巻を例に揚げて書いているとしたその箇所は 一字一句違わず紫式部の文章そのままでした 仙覚が要約して書いたとばかり思っていました 仙覚は傍らに『源氏物語』を置いて執筆していたのです 仙覚さんと源氏物語なんて

 

『水底の歌』は今どういう立ち位置なのだろうと思う 雑誌掲載当時毀誉褒貶相半ばで物凄い異端扱いだったらしい 私はそういう批判の嵐をなんとなく感じて読むのを避けていました 仙覚研究で万葉集研究の歴史を一応見たのですが 契沖とか賀茂真淵に惹かれなかった 水底の歌を拝読してそれがなぜかが

 

理解できたわけですが 私が感じたその方々への違和感を国文学の研究史では全然触れられてなく どちらかといえば偉大な学者扱いだからそういうものかと受け止めるだけにしていたのですが 水底の歌にはっきりその違和感への共感部分を見て 私は水底の歌への褒貶を払拭できました

 

仙覚が『源氏物語』を引用している件で 当時仙覚の周りには『尾州家河内本源氏物語』の奥書を書いた北条実時や 「河内本源氏物語」を作った源親行がいたわけだし どの写本を引用したのか気になって中野幸一先生『正訳源氏物語』を見たら大島本 青表紙本の本文でした ということは と考えています

 

引用してある『万葉集註釈』は仙覚が小川町で作りますが それは書き溜めていたのをまとめたものだそう 仙覚はこの注釈書を長いあいだ書き溜めていました だから仙覚がいつ『源氏物語』に接したかはわからず 宗尊親王の時代だったら河内本系? と思ったのでした

 

でもそうではなかった とすると源氏物語ブームの起きた宗尊親王時代ではなく もっと遡って後嵯峨天皇に万葉集を献上しつつ滞在した京都時代かしら など 或いは真観から借りた とか

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2021.12.7 Twitterより転載……梅原猛氏『水底の歌』と出逢って『華鏡』の構成が大きく変わりました

長いご無沙汰でした。10月10日に、11月27日の鎌倉ペンクラブの講座【比企一族の女性たち―その興亡と『万葉集』―】のお知らせをしてからずっとその準備のパワーポイントの作成にかかり、そして当日講座を無事に終えることができました。

それからやはり少しぼうっとして何日か過ごし、だんだん講座の日以降のことが反芻されて、Twitterにはその都度呟いていたのですがこちらにまで手がまわらず失礼をしていました。やっと心の区切りがついたのでご報告させていただきます。

結論を書いてしまいますと、講座のあとの打上げや二次会で編集者だった方とお話して、『紫文幻想』を読んで頂いたその方から「織田さんは梅原猛の『水底の歌』の路線を行くのかも」と言われたのがきっかけでした。私はそのご著書を拝読していなかったのですぐ古書で購入して読みました。

驚愕の書でした。これは副題が「―柿本人麿論―」だったんですね。今まで曖昧だった人麿についての曖昧だった印象がしっかり見えてきて、それが誤った研究史とそれを信奉するそれ以降の万葉集研究者の方々によって真実が見えなくなってしまっている、という内容でした。まさに私の『紫文幻想』と同じです。

そんなことから見えてきた『華鏡』の書き方を変えよう! と決めるまでのTwitterの呟きを転載します。長くなります。

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11月30日

朝TLで天上の虹という作品があると知って検索したら そうっかこれは源氏物語におけるあさきゆめみしで だから万葉の装束や内親王ファンがいられるのだと納得 そしてその先に長屋王残照記があるのに気づきkindleで購入して読みました まさに比企の乱でした 不比等とか長屋王の名前を伏して読んだら 時政

 

や誰彼になる この時代に万葉集が作られていたんですね 仙覚さんの功績を知って貰うために小説を書いているのだけれど 私に絵心があれば天上の虹のような漫画にするのがいい とまで思ってしまいました いつか何方かの漫画化を待って その原作となる小説をすればいい と今朝思いました 華鏡ではダメです

 

そう 華鏡ではダメ を今朝凄く思ったのでした 仙覚の功績を知って貰うという当初の目的から凄くずれて膨大になりすぎて これは先日の打上の席での編集者だった方との会話の影響もあってのことで 転機かもしれません

 

12月1日

おはようございます 講座が終わってこの世界が戻ってきたのだなあとしみじみ 写真は紫文幻想に使ったご本たち 本棚に入れられなくて積んだままの 鎌倉に通った十年間 寺院の方とのお付き合いが殆どだったから香水を使えなかった 講座の日から香水も戻しました 気づくと香る 幸せ

 

万葉集の世界をざっと見てみました

 

12月2日

おはようございます 昨日の玉川上水べり&井の頭公園西園の紅葉は圧巻でした 一昨日は心に余裕がなくあまり堪能できなかったので最高潮の今の内にもう一度と行ったのでした モミジってほんとうに色づくと凄いですね ふだん見ている木がこんなに といつも打たれます

 

疲れていないと思っていても深いところで疲れているのでした 昨夜は万葉集の成立について読みながら寝落ち 地震も知りませんでした 起きて ふっと 気持ちが整理ついたかも と思いました 講座の事後 個々のことを反芻しても気持ちで総括できていなかったんですね 気持ちが整うって時間がかかります

 

古書で注文した本が届きました しばらくこちらを拝読して過ごします 元編集者さんに言われてピンときたご本 人生を変えるかもしれない上下二冊 大袈裟かもしれないけどそんな出逢いの気がします

 

ある方からレジュメを欲しいとお電話頂き一部プリントしました 公ではない活動だけれどおそらくそれよりゆたかに広がっています もっとゆたかに広がっていくために書きます 文学という形式で

 

今朝だったか気持ちの整理がついたとツイートしたのは 講座の後に見えてきたものがあって そこに向けてスルッと過去から抜けて移っていく魂のような蜻蛉のような揺らいだ気配が見えたからでした なんかおかしなツイートですが

 

骨肉相食むとか生き馬の目を抜くとかそんな言葉をしょっちゅう感じたり そうした目に遭っても誰も助けてくれなかったり の環境を抜け別の世界で生きることにしたのだけれど 書く小説はまさにそれだということを思い出して 仙覚を書くということはまさにそれだったと 万葉集に関しての渉猟を終えて

 

客観的になったからたぶんこれから違う地平で書いていく気がする

 

12月3日

おはようございます 地震で起きました 古書で買ったご本を拝読しながら寝落ちしていました はっきりわかったのですが はっきり言いたいことを書く なのでした 私にはそれができていなかった はっきり把握していなかったしはっきり言うことに忖度があった この方は歴代の有名どころの定説でも

 

おかしいと思ったことは最初からあっさりばっさり切り捨てられてる 言いたいことを最初から言いたいと言い切っている こんなに小気味いい書きぶりって初めて読みました それで私は何を言いたいのだろうと考えて 仙覚さんの小説を書くということにこだわるあまり言いたいことを忘れていたのに気づき

 

そこで寝落ち 漠然と仙覚の小説では言いたいことは書けないと感じながらでした でも地震で起きたら解決していました 初心に帰ればいいんです 源氏物語の写本に実時の奥書をみつけその秘密の解明から始まったことを 『華鏡 ―尾州家河内本源氏物語と西本願寺本万葉集の歴史―』 タイトルはこれです

 

ほんとうに 私 なにを忖度していたのだろう 凄い今までもやもやと心を包んでいたものがとれて明解になっています 毅然として書く それですね

 

図書館に行かれないからもっぱらkindleで 里中満智子さんの長屋王残照記もそうだったけど 今 中西進『古代史で楽しむ万葉集』を購入しました

 

通底は乱 藤原氏による一連の乱から比企の乱へ その結果遺された知的遺産 源氏物語と万葉集 と そこまで思念がたどり着きました 長屋王からはじめようかと

 

朝から古書で買ったご本を拝読しています 面白くて 手前の伊勢集の葉書は栞に使っているものです 本に書き込むのを止めてから身につかなくなったので これは古書だしもう私の後に何方かが読むこともないだろうと 最初から思い切り黄色いマーカーで線を引いています なんか 文体以上に仙覚の核心が

 

ずっと古書で買ったご本を読んでいました こんなに時間をかけて読み通すのは初めてかも の集中でした 上巻をあと少し残して一旦中断 疲れてぐったり でも気分は昂揚しています

 

12月4日

おはようございます 講座後の打上で元編集者さんに 織田さんはあの人の路線をいくのかも と言われて古書で買った梅原猛『水底の歌』 ピンとくるものがあって昨日一日熟読しました やっと上巻を終わってツイートしたいことはたくさんあるのですがこれだけをまず 私が仙覚研究にとりかかったのはたまたま

 

尾州家本源氏物語と関連して西本願寺本万葉集が出てきたからですが 仙覚でよかった! と嬉しかったのは 梅原氏が契沖以降の江戸時代の国学を批判していて それが私の感じていたこととぴったりで胸のすく思いがしたのでした なんか江戸期以降の研究に拒否感あったのですが謎が解けました そして 仙覚の

 

研究の正しさ! このご著書で梅原氏は柿本人麿が流刑に遭って水死させられたというご論を書いていられるのですが その辞世の歌の読みを仙覚が正しく伝えていると 人麿の水死論は一般的でなくそれでこのご著書も非常な批判の的に曝されたわけですが 仙覚はなんと水死を辞世の歌に読み取っているんです

 

そしてその論証の言葉が 源氏物語蜻蛉巻を揚げて 水底に沈む浮舟の例を! 仙覚は源氏物語を読んでいるんです! 私もこの箇所は知っていましたがそういうことだったんだ~とやっと理解しました と こんなふうにこのご著書 驚きの連続です ちなみに元編集者さんが私に呟いた織田さんはの意味は 紫文幻想

 

がまさにこのご著書と同じく源氏物語について今まで誰も書いたことのない論を(モデル説など)書いているからです 発表したら非常な批判の的に曝されるだろうの覚悟はできているけど まず無視されるだろうなの予感のほうが強いです でも発表します なんらかの方法で

 

昨日 このご著書を拝読し始めてあまりにあっさりばっさり旧論を切り捨てられているのが爽快で 私にはそれができていなかった 何を忖度していたのだろうと呟やいたのは これを発表したら国文学界の先生方に楯突くことになる という申し訳なさがあったからでした 怖れではなくです でもそれは抜けました

 

考えてみると梅原氏のご本は私には驚くべきことなのでした ずっと仙覚が万葉集の研究に入ったのは崇敬する円仁の悉曇章にあった万葉仮名の影響と思っていたのですが 仙覚が柿本人麿の水死説を知っていたとしたら 比企の乱で一族を滅ぼされた仙覚には藤原氏によって滅ぼされた人麿は他人事ではなかった

 

仙覚の万葉集研究の根幹に柿本人麿があったなんて!

 

朝から連投ですみません 梅原氏のご著書で驚愕したのは 柿本人麿の失墜が藤原不比等による藤原氏の権力が確定したことによるもので 不比等は権力に楯突いたら人麿のようになるぞとの人民への恐怖を植え付けるために殺されたと 大宝律令ができた年から人麿が登場しなくなるのです 私の紫文幻想の根幹が

 

藤原氏による菅原道真や紫式部の父たち(花山天皇)への弾圧で それが仙覚の比企の乱と重なっていく というのが華鏡なのでした その藤原氏の最初の不比等! 華鏡の最初はここからなのですね 書き直そうと思っています

 

12月5日

梅原猛『水底の歌』下巻をもう少しで読み終わるのですが 拝読して『華鏡』の構成が整ってきました まずタイトルを『ー柿本人麿論ー』に倣って『ー万葉集&源氏物語論ー』にしようかと そして人称ですがそれは私 小説として書いていたから人称が難しかったのでした 水底の歌のように語っていけばいいと

 

新しくものごとを始める新月 ということで始めました 『華鏡 ー万葉集&源氏物語論ー』 柿本人麿の辞世の一首から始めます

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2021.9.30 kindle版『竹御所 ~花、萎れるままに~』をAmazonで出版しました

kindle版『竹御所 花、萎れるままに~』をAmazonで出版しました。

掌編ですが、思いついてとりかかって一か月ほど頑張っての無事の出版です。

ほっとしました。

取り急ぎお知らせさせていただきます。

(2021.9.30 3:00記)

https://www.amazon.co.jp/dp/B09HHNDXN9/ref=sr_1_2?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&dchild=1&keywords=%E7%B9%94%E7%94%B0%E7%99%BE%E5%90%88%E5%AD%90&qid=1632939490&s=books&sr=1-2

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