2016.9.21 ツイッターから転載…心機一転、急展開で「仙覚」の小説を書くことにしました。

8月29日
おはようございます。台風が心配ですけど私は昨夜『仙覚』の最初の一行を記しました。研究発表前には思ってもいなかった展開。ただの歴史小説になるところを発表の下調べで新しい視野が見えてきて、こちらの方が私らしい!です。義務や使命で書くのでなく真に書きたくて書くという方向が定まりました。

私の円仁履歴…仙覚が後嵯峨院に万葉集を献上した時の「仙覚律師奏覧状」に記された「慈覚門人権律師仙覚」の署名→ダイヤモンド社『慈覚大師円仁と行くゆかりの古寺巡礼』→中公文庫『入唐求法巡礼行記』→『古代日本人と外国語』。そしてこれからまた中公文庫『入唐求法巡礼行記』に入ります。

ダイヤモンド社『慈覚大師円仁と行くゆかりの古寺巡礼』から円仁が唐から持ち帰った悉曇章。朱で万葉仮名の書き入れが。背後の黄色いマーカーを引いたコピーは『古代日本人と外国語』。「読誦音は、仏教の真理と一心同体である」が突き刺さりました。

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過日の発表要旨を何度も読み返して観音信仰の有難さを感じ取った次第です。とお葉書を頂きました。生まれたばかりの仙覚が岩殿観音に預け入れられ別当の養子となって育ったという発表要旨。天台宗寺院岩殿観音。私は学問として追究するあまり信仰ということを忘れていたなあと猛省。曹洞宗の方です。

8月30日
仙覚に直接関係ないのに円仁から離れられない。悉曇学。円仁のそれの唐での摂取の仕方など。円仁の悉曇章を仙覚が見たとして論をたてましたが、中世においてどれくらい円仁を読める人がいたか不安でした。が、日蓮が立正安国論で『入唐巡礼行記を見ますと…』と書いているそう。割と広まっていたよう。

ということは、仙覚も『入唐求法巡礼行記』を読んでいたとしていいのですね!

たぶん私だけでしょうけれど、印刷技術がなく図書館も書店もない鎌倉時代に仙覚や日蓮がふつうに円仁を読めていたのが不思議。足利学校や金沢文庫がそうだったように寺院が文化の中枢センターとなって各地から集まってそういう本を読めたのだろうとは思っても。仙覚の岩殿観音もそうだったのでしょう。

8月31日
台風の被害と泉田知事、今はそれが大変と思うけど私は私のなすべき事に向かって図書館へ。仙覚が円仁の入唐記を読んでいたとしたら、彼があの大変な人生において絶対にブレなかった意味がわかる。円仁でさえ唐であのような目に遭っているのだからという心柱があったのでしょう。入唐記、読み返します。

入唐求法巡礼行記。「本書は慈覚大師円仁が五台山から長安に至り唐武宗の廃仏に遇って帰国するまでの苦心十年の日記四巻」。中公文庫裏表紙より。

友に仙覚の小説にかかったとメール。続けてH先生も認めて下さる小説になると思うと。僕が翻訳した貴方の本がセーヌ河畔の書店に並ぶ日を夢見てとパリから書いて下さった先生はすでにこの世の方ではないけれど…。きっと天国で見守っていて下さる。何より高齢の友がまだ在世中に仕上げたい。

図書館の帰り。円仁の『在唐記』他、悉曇学関係をコピーしてきました。まさかこんな展開になるなんて。四月に研究発表に応募した時点ではまだ仙覚が岩殿観音の人の確証は私の中でなかったし、円仁の悉曇章も浮上してなかった。発表の後、学会の先生方との触れ合いで突然爆発。機が満ちてたのでしょう。

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2016.4.7 タウンニュース鎌倉版コラム第四回【ファーストレディ松下禅尼】が掲載されました。

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3月25日
タウンニュース鎌倉版コラム第四回【ファーストレデイ松下禅尼】が掲載されました。『徒然草』の障子を張るエピソードで質素堅実なイメージが定着した松下禅尼ですが、新婚時代は夫時氏の六波羅探題北方の妻。京都の華麗な文化の体験者です。
http://www.townnews.co.jp/0602/2016/03/25/325977.html

仙川は菜の花でいっぱい@三鷹市

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コブシと思ったら桜でした。

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風が収まるのを待って。

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ムスカリ、大好きです。家にも植えてあるのですが、これは公園でオオイヌノフグリに混じって咲いています。

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3月26日
図書館のクロッカス、今日はシマシマ。『徒然草』関連の資料を返しに来ました。

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タウンニュース鎌倉版のコラム第五回用写真の掲載許可をある寺院に申請中で、そのためか仮寝した夢の中で「寺院についての説明がもっとあれば許可する」みたいなことを言われ、起きたら原稿の書き直しにかかってしまいました。原稿にインパクトがないと悩んでいた時だから啓示を頂いたような気分です。

3月28日
京都の某寺院様に問合せさせて頂いていた写真掲載許可の件、お電話を頂戴して許可を頂きました。ほっとしました。嬉しいです。タウンニュース鎌倉版コラムの4月号用です。その時にまたお知らせさせて頂きます。

ほんのり夕陽に染まっています。井の頭公園の桜。

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日暮れ時の木蓮。

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秋に金沢文庫で忍性展が開かれるらしいので、その頃多摩の講座の方々をお誘いして鎌倉文学散歩第三弾を計画しようかななどと思案しています。「今度、いつもお話されている金沢文庫にも連れていって下さい」と、最終回の帰り際に声をかけられていたので、6月にでもと思っていたのですが。

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2015.9.30 ツイッターから転載…ジュンク堂書店吉祥寺店様に拙著『源氏物語と鎌倉』を置いて頂きました!

9月7日
嬉しいお知らせを書かせていただきます。拙著『源氏物語と鎌倉―「河内本源氏物語」に生きた人々―』を、ジュンク堂書店吉祥寺店に置いていただけることになりました。国文学のコーナーです。お立ち寄りの際にご覧になっていただけたら嬉しいです。

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『源氏物語と鎌倉』をジュンク堂書店吉祥寺店に置いて頂いた件ではたくさんRTして頂きありがとうございました。初めての方もいらして驚きました。感謝!です。こんな深夜、私には親しいいつもの時間、今一通り推敲して時頼の原稿の第一章を離れます。明日から第二章。書き改めの作業も順調です。

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2012.1.25 よみうりカルチャー横浜、映像で巡る3回集中講座【『源氏物語』と鎌倉】開講のお知らせ

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1月27日によみうりカルチャー横浜『源氏物語と鎌倉』の3回集中講座がはじまります。

テーマは
1月27日 「京都の源氏物語文化」
2月24日 「鎌倉の源氏物語文化(一)頼朝・頼家・実時の時代」
3月24日 「鎌倉の源氏物語文化(二)摂家将軍・皇族将軍の時代」

目下、そのパワポの編集をしていて、これはタイトルスライドです。
(チラシに載せた写真なので私の趣味と違っていつものよりぐっと派手目です…笑)

よみうりカルチャー横浜
横浜駅ビル9階 045-465-2010

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2013.7.6 第二回クリエイターEXPO東京への出展。昨日無事終了しました。

7月2日
ビッグサイトにいます。クリイエターEXPO東京の設営を終わって、ブックフェアのエリアを見てきました。同じフロアなんです。クリイエターは明日から三日間、ブックフェアは四日間、はじまります。今年はクリイエターに出展するので中の人。大手出版社さんの設営を見て回ってドキドキしています。

ビッグサイトで明日からはじまるブックフェア。同じ会場のクリエイターEXPO東京に出展します。先程設営して帰宅。小さなスペースですが三日間詰めています。設営はこんな感じにしてきました。

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7月3日
@komimai いらっしゃるの?驚き!でも、一度は観ておいていいイベント。私はお勧めです。無料招待券をお持ちの方は初日から入れます!私は今向かっているのですが、昨日の疲れで出るのが遅くなって、テープカットに間にあわなさそうで、あ~あ、です(笑)

出掛けにある方からお電話。秋にある大学の公開講座で仙覚さんについての講座をさせて頂けそう。ブックフェア初日の朝にブックフェアより先に素敵なご縁を頂きました。

東京国際ブックフェアのテープカット直前のようすです。ファンファーレと共に開幕しました。私は何とか間に合って汗だくです(苦笑)

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クリイエターEXPO東京の絵本ゾーンに、立松和平先生のお嬢様が出展されていて、お母様から携帯に私が出展していると連絡あったからとご挨拶頂きました。絵本ゾーンのCー9、山中桃子様です。

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今、静岡県からご来場の方とお話しました。富士川の合戦で飛び立った水鳥の音に驚き平家が退散した、そのときの源氏軍を案内したご子孫様でした。浅間神社の流鏑馬もご子孫の奉納がはじまりとか。びっくりしながらおうかがいしました。

休憩に出てきています。一時半までと紙を置いて。座っていると見張り番みたいで立ち止まるのをためらわれるような感じの方も。案外、席を外すのもいいかも。

出口を出るとき振り返ったら、早速一人の男性が立ち止まってチラシを手にゆっくり読まれていました。もとろうかな?と思ったのですが、私も寛ぎたかったし、出てきました。

戻ってきました。

午前中、劇団の主宰者という方が興味を持って下さって、長々と話し込んでしまいました。元国語の教師をしてらしたから国文学はお手のもので、でも、定家がこんなだとは知らなかったと。面白がって下さって、こういう事があるからやった甲斐がと思いました。

ビッグサイト、ロビー。ブックフェア入口とクリイエターEXPO東京の入口が並んでいます。三時の休憩に出てきました。でも、珈琲の注文に並んでいたら時間が経ってしまい、ガックリ(笑)

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ブックフェアと同時開催の電子出版EXPO、私が毎年通うようになった初期の頃は電子出版といえばパピルスくらいしかなく、Googleとシャープが二大大手みたいに賑わってました。何年か前にGoogleが出展しなくなり、今年の会場で配られる紙袋を見ると楽天ばかり。変化多いです。

安土桃山城の映像を作ってられる方が立ちどまられて、織田、だから興味を持ってと。八王子城のレースガラスの話をしたら、知らなかったと面白がって下さいました。人生にはいろいろなアプローチがありますね!

鎌倉がミニシリコンバレー化している噂は聞いてたけど、カマコンバレーというのだそう。しかも、鎌魂バレーとか。鎌倉らしくていいですね。と、これもクリイエターEXPO東京で入手した情報。

今、ツイッターをご覧になってられる方が、出展していると書いてあったのでとわざわざいらして下さいました!嬉しかったです。

クリイエターEXPO東京、初日が終了して出てきたら、ビッグサイトのガラスの壁面に夕陽の雲が映っていて綺麗!

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国際展示場駅はまだ遥か!

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7月4日
おはようございます。クリイエターEXPO東京二日目。ビッグサイトに向かっています。終日詰めているのはハードだろうなと覚悟していたのですが、いろいろな方とお話していると刺激的でいつの間にか時間が経っていました。今日はまたどのような展開になるのでしょう。楽しみです。

何かのご参考に昨日の経験を。未出版の長編があるので、いらして下さった方に見て頂くために、最初kindleで電子書籍にしてiPadで用意しようと思ったのですが間に合わず、急遽自分で刷って製本した紙の本にしました。結果として紙の本で正解でした。紙の本は勝手気儘に見て頂けます。が、

iPadではそうはいかないですよね。紙の本には手持ちぶさたを埋める気楽さがあるよう。物体がもつ存在感が安心なのかも。この歴史随想、久しぶりに読み返して自分でも面白く思ったのですが好評でした。三冊用意したのですが、三冊共差し上げてしまったので、昨夜また刷って持ってきました。

東京国際ブックフェアと同時開催のクリイエターEXPO東京、二日目がはじまりました。写真は受付があるロビー。ブックフェアとクリイエターは一階で、電子出版EXPO等は二階です。

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朝にツイートした歴史随想『寺院揺曳ー幻の廃寺を訪ねてー鎌倉佐々目遺身院』。HPに載せてあります。よかったらご覧下さい。

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座っていると時々関心を持って下さる方がいらっしゃっいます。しばらくしてわかるのですが、出版社さんか編集者さんで、ライターを探しているそう。分野があるので社に帰って検討してみますと資料をお持ち頂いています。私の分野はマイナーでと申し上げると、そうですねと皆様笑われます!

13時45分まで休憩に。私のは難しそうだから、余程関心がないと、目があったら大変!みたいに、瞬時にして目をそらされること多いです(笑)。なので、たまに居なくなる事にしました。

クリイエターEXPOには、私のような作家の外、デザイナー、イラストレーター、絵本作家、音楽家、書道家、漫画家、写真家、占い師等々いろんな方が出展されています。視覚系のゾーンは華やかで賑わっています。作家ゾーンは渋いです(笑)。作家も、軽い書き物の方には皆様足をとめられます。

今日の空。ビッグサイト、二日目終了。あっという間に時間が経ちます。

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7月5日
おはようございます。目ざましが鳴って目が覚めて、?、なんでこんな時間に起こされたの?と。しばらくして覚醒して、あ、ビッグサイトへ行くんだったと。三日間通勤のように通うなんてほんとうに久しぶり!今日で終わりなのだと思うと寂しい。イベントは楽しいですね。

やっと渋谷。今日は遅刻。恐い(笑)私がブースにいるより離れていた方が皆様じっくり足を止めてポスターを読んで下さるとわかったので呑気です。こんなに弛いイベントもはじめて。規則さえ守れば何の管理もありません。この弛さ、楽しんでいます。

昨日もたくさんの方とお話したし、ご紹介させて頂きたい事もあるのですが、ツイートする余裕がなくて、折を見てまたさせて頂きますね。

昨日、源氏物語を紹介するアプリのシナリオ書けますかという方が。はいと答えるといきなり、報酬は出来上がった時に一括で、それとも印税方式に?と。商談が苦手な私はそこで困惑。でも内心、これを引き受けたら控えている論文や比企の講演準備に差し支えるなあと。そんなおかしな状況です(笑)。

ビッグサイトの駅に到着しました。雨が降っています。

比企のルポ企画。連載させて頂くところを探しています。最初『源氏物語と鎌倉』をアピールするのが目的の出展でした。が、設営した時ポスターを貼ってみたら余裕があって、じゃあ、と思い立ち、急遽、比企の企画の新連載の場を探す事にしたのでした。

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@5656rock 有難うございます!思いがけないエールにびっくりしました。

さっきまでブックフェアエリアを回って目星の本を二割引で購入しながらいろいろな出版社さんのブースを見て楽しんで、また今もお昼の休憩に出て、今日はまだ営業活動(?)をしてません。12半までのんびりします。このイベント会場特有の雑然した活気の空間、好きなんです。

ロラン・バルトのタンジールではないけれど、自分とはまったく関係のない周囲の雑然とした音と気配。それを感じながら一人座っているという贅沢な孤独の空間。日常を離れて。

二階の電子出版EXPO会場にきました。これは見下ろして撮ったロビーの光景。左端にクリイエターEXPOの入口。

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ビッグサイト二階テラスから見た東京テレポート方向。

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戻ってきました。これから通常営業モードに入ります。電子出版EXPOエリアは活気があってもっとゆっくり見て回りたかったです。戻ったら貴名受にお名刺が三枚、すみません(泣)。

吉川弘文出様からご挨拶頂いてしまいました。恐縮。私から伺うべきところ、人見知りなので遠慮しました。先程ブースを訪ねて二割引の現代語訳吾妻鏡を購入したときも、こそっと(笑)。光行さん押しには燃えるのですが、自分押しにはよわいんです。

今日から一般の方も入場されているので混んできました。でも私のブースには昨日までの方のほうが立ち止まって下さったかも。源氏物語も万葉集も大切な日本の文化なのに、耳を傾けてうんうんと頷いて下さった方も、最後には、マニアックですねぇと(笑)。そのマニアックを普遍にするのが私の使命です。

クリエイターEXPOのビッグサイトから帰ってとにかく何よりも先に寝て疲れをとりました。終わってしまったのが名残り惜しいような気持ちです。楽しかったし勉強になりました。2,3,ツイートさせて頂きます。

まず何よりも痛切に見えてきたのが『源氏物語と鎌倉』が如何にマニアックな本かということ。関心をもって聞いて下さった方のほぼ全員が最後に口に出されたのが「マニアック」の言葉でした。「マイナー」ではなく「マニアック」なんです。これは新鮮な発見。これって凄いことですよね!

それからコンテンツを探しているという方と接触。『源氏物語』に関係なさそうな男性が立ち止まられたので?と思っていたら、「これをスライドショーにしたものありますか」と。DVDを作るコンテンツを探してられるそう。YouTubeを見ていただくことにしましたが、成程と、時代を感じました。

YouTube 【万葉集と源氏物語の鎌倉】http://www.youtube.com/watch?v=TaFtZ4cGlw4 …と【双子の写本がたどった運命~仙覚と『万葉集』の歴史~】http://www.youtube.com/watch?v=ev1vVqCLfl8 …です。

最後に比企の方がいらして下さって八月の講演の打合せ。「仙覚さんの故郷比企」から始まった企画の講演ですが、比企には九条家領があって兼実を祀る月輪神社があるほど。でも今では地元の人でさえ月の輪熊がでるの?みたいな状況だそう。で、九条家を主軸にした内容の講演にしました。

九条家といえば、兼実と俊成・『源氏物語』との関わり、良経と後鳥羽院・『新古今和歌集』との関わり、逝去にまつわる慈光寺経との関わり、第四代将軍頼経と仙覚・『万葉集』との関わり、慈光寺経の奉納と、華麗な文化の満艦飾。それが比企に集結しました! あまり知られていない歴史です。

7月6日
ある絵画展。EXPOの準備で行かれなかったから終わったら是非と考えていましたが無理みたい。明日が最終日なんです。昨夜終了のご報告がてら、これから比企に全力投球ですと歴史の先生にご報告したら、比企と仙覚の問題、僕が生きているあいだに仕上げて書評を書かせて下さいと。それ程の問題です。

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2013.5.8 ツイッターから転載…林望氏『書誌学の回廊』を拝読してなど

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↑ 5月4日
一本だけ売れ残っていた固い蕾の芍薬。以前、蕾のまま萎れさせてしまったことがあったので購入するつもりはなかったのですが、なんか可哀想な気がして購入。日光に当てて貼りついていたガクを指ではがして。そうしたら咲きました。

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↑ 5月6日
今日の井の頭公園の夕景。都心で雷雨があったような。多摩東部のこちらではざっと雨が降りましたが、じきに止んで、オレンジの夕陽が強烈でした。

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↑ 5月7日
6月11日~12日に、2013国際アッジサイ会議が鎌倉で開かれます。

http://www.hydrangea-nippon.jp/2013ihs/index.html

会場は鶴岡八幡宮八幡宮直会殿。神楽の見学もあって、外国の方に日本の文化を堪能して頂く配慮だそう。発表者には外国の方も。鎌倉らしい素敵なシンポジウムですね! 私も行きたいのですが、朝の集合時間が早くて思案しています。

そういえば思い出した事。外国の方でどこのシンポジウムに行っても毎日必ず教会に行く方がいらしたそう。それで鎌倉が会場の時、ある方が「今日は教会へ行かないのですか」と尋ねたら、「神楽を拝見したから今日はもういい」とお答えになられたそう。敬虔ということは宗派を超えるのですね。これが鎌倉の真髄ではないでしょうか。

この写真の紫陽花は以前称名寺で撮ったものです。

5月8日
林望氏『書誌学の回廊』を拝読中。書誌学自体には到底踏み込めないと悟りましたが、書誌学がどんなものか手に取るように分かる。しかも楽しい。写本の変遷をこんなにわかりやすく解説された本はないでしょうね。

書誌学に関係ありませんが、今、こんな言葉を発見。「白扇倒(さか)しまに懸る東海の天」。江戸時代の隠者石川丈山の漢詩の訳です。白扇!なんと富士山のこと。丈山の旧居が詩仙堂だそうです。

林望氏『書誌学の回廊』より。手で写した書き本のことを写本という。何らかの印刷工程を経て出版物として出た本は刊本。我が国の印刷を経る出版ジャーナリズムの確立と発展は江戸時代初期に遡る。大雑把にいって、古典文学作品に関しては、室町までは写本の時代。江戸以降は刊本の時代とみてよい。

この二つの時代の狭間に古活字版の時代が短期間存在。安土桃山時代に偶然東西から二種類の活字印刷術が伝来した。グーテンベルク式の金属活字印刷術と秀吉の朝鮮出兵による銅活字印刷術。これが日本古来の技術と融合して古活字版時代が出現。それは金属活字を日本在来の木版技術での応用した事。

そういえば昨日こういう箇所もありました。「一番上等は鳥の子紙。これは雁皮という素材をごくごく厚く丈夫に漉き上げたもので、紙質は稠密にして虫害に強く、雅致に富む。高価。だからこの紙が使ってあるということは一般大衆を相手にした本でない。」→『尾州家河内本源氏物語』が使っている紙です。

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2013.4.2 ツイッターから転載…永井晋先生『金沢北条氏の研究』から小侍所別当実時のはたらきの実態→当時の鎌倉の本当のすがた、それは華麗な将軍御所に仕える鎌倉幕府という上下関係の構図でした。

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3月27日
ようやく北条実時が果たした将軍御所の小侍所という役職の実態がわかりました。永井晋『金沢北条氏の研究』から要約:第四代頼経・五代頼嗣の摂家将軍の時代、将軍家の家格は源家将軍三代より低かった。第六代宗尊親王の皇族将軍になって将軍家に王権の分身という新たな聖性が付し家格が上昇する。

「鎌倉の儀礼は公卿という新たな社会階層の参入に対応する形に再整備されることになった」。この作業が小侍所の主な役割で実時がその任務に当たった。将軍家が鎌倉の神聖な首長になったことから、神事や儀礼は公卿・殿上人が補佐。鎌倉幕府は政務の面の補佐で得宗が政治を主導する形に変化した。

「親王将軍の東下によって関東祇候廷臣や京下り官人といった都の教養人ないしは技術者が鎌倉に恒常的に滞在するようになり、鎌倉の武家文化が将軍御所を中心に急速に成熟していった」「北条実時が推し進めた鎌倉の秩序再編は、この変化に対応したものであり、将軍御所の儀礼と勤務形態の整備という

作業を通じて、公家社会の序列に対応しうる鎌倉の武家社会の序列を新たに創造することであった」。→つまり実時は聖なる将軍に仕える幕府の代表として、鎌倉に下ってきた公卿や殿上人と最初に接触し世話をする立場にあった。→ つまり実時の交遊はそれまでの鎌倉人と格段に違い、ひいては教養も。

通史として「北条実時は宗尊親王に小侍所として仕えた」と読んではいましたが、この役職がこんなに深い意味をもっていたなんてと驚いています。ただ将軍の世話をする立場くらいにしか思っていませんでした。実時は鎌倉で公卿・殿上人といった京の教養人と一番確かに接した人だったのでした。

これが親行や二条教定らとの交流・『源氏物語』の書写等に繋がっていくのですね。二条教定の子息飛鳥井雅有に娘を嫁がせているのも、単に同じ将軍御所に仕えていれば知りあうこともあったのだろう程度の交流ではなかったのでした。

3月28日
『全訳吾妻鏡』より建長4年4月1日、宗尊親王の鎌倉到着の日の続き:次に親王南面に出御。両国司(時頼・重時)、廊の切妻の地下に候ぜらる。相公羽林参進して、御簾三箇間を上ぐ。次に前右馬権頭政村、御劒を持参す。南門に入り、庭上を経て、寝殿の沓脱より昇り、御座の傍に置き、本座に帰著す。

4月14日、寅の一刻、将軍家始めて鶴岳の八幡宮に御参。(行列は略)。陸奥掃部助実時、遠江守光盛は、鎧を布衣に改め著して供奉せしむと云々。右大将家(頼朝)より三位中将家(頼嗣)に至るまで、将軍の威儀を糺され、御出の度ごとに、一両人たりといへども、勇士を供奉せしめずといふことなし。

しかるに親王の行啓においては、その儀あながちに然るべからず。向後は事によつて随兵を召し具せらるべしと云々。→ 昨日ツイートさせて頂いた永井晋『金沢北条氏の研究』にあった実時の小侍所の役割で、鎌倉幕府が皇族将軍宗尊親王より下位になったという意味の実際がすでにここに現れています。

初代頼朝から第五代将軍頼嗣まで、将軍の行列に勇ましい鎧姿の武士が供奉しないことはなかった。が、宗尊親王の鎌倉における最初の行列で、実時たちは鎧を停止され、狩衣姿で供奉することを強いられたのです。これは鎌倉側より親王側が上になったということ。鎌倉の慣習が武士本位から公家本位に変化。

鎌倉にはもともと源平の争乱で下向した源光行がいて河内本源氏物語の校訂を始め、子息親行がそれを継いで第六代将軍の時代まで親子二代に渡る『源氏物語』研究の土壌ができていた。

将軍御所の小侍所を勤める実時は、京から下った公卿や文人と対面し、鎌倉側との調停に努める役割。当然親行とは親しく接しています。そこに皇族将軍宗尊親王が下向。親王は京から送りだされるとき王としての聖性を保証されていて、決して脇に押しやられ文化で気慰みする状況ではありませんでした。

鎌倉幕府の頂点として君臨する親王将軍に近時する実時は、生来の学問好きで、立場を越えて水を得た魚のように京から雪崩込むめくるめくような文化の洪水を享受したでしょう。そうした中で実時と親行・清原教隆らとの繋がりができていきます。鎌倉の『源氏物語』は決して脇にやられた公家の侘びしさを

紛らわす手段だった訳でなく、それどころか逆に権威と表裏一体に輝く華々しいものでした。鎌倉に実時のような勉学家がいず、小侍所を別人が勤めていたら展開は全く違ったでしょうけれど、鎌倉の『源氏物語』は武士も公家も一緒になって生き生きと楽しむ交流のなかで育まれたのでした。目に浮かぶよう。

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2013.3.26 ツイッターから転載…有栖川宮公園の枝垂れ桜と都立図書館での資料コピー

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◇有栖川宮公園の垂れ桜。満開で晴れていたらそれは綺麗でしょうけれど小雨もまたしっとりといい風情。水鳥が池の中の島にあがったり泳いでいたりと全くの日本画の世界です。都立図書館に来ました。何年ぶりかみたいな久々の資料コピーを楽しんでいます。

◇都立図書館複写今日の収穫メモ順に:小川靖彦「萬葉集古写本の美」(高岡市万葉歴史館編『美の万葉集』)・永井晋『金沢北条氏の研究』・中野幸一編『源氏物語古註釈叢刊』・池田利夫『源氏物語回廊』・高遠弘美『乳いろの花の庭から』→メモが溜まっていろんな分野が。物凄い贅沢な気分です!

◇池田利夫『源氏物語回廊』は、『源氏物語と鎌倉』の準備がほぼ完了した時期に刊行を知り気になりつつも個人で入手する本ではないし図書館で購入しても書架に並ぶまでに時間がかかって拝読が間に合わなかったもの。明月記紙背文書に光行の自筆消息発見など、心して拝読したい内容です。コピーしたのは、

◇「鳳来寺本源氏物語の親行識語と書誌」「鳳来寺本源氏物語の伝来経路」「源光行における東邑」「源光行自筆書状の新出をめぐりて」。たぶん大丈夫と思うけれどもし『源氏物語と鎌倉』の論旨に不都合ができたらどうしようとは拝読するのを楽しみにわくわくしながらもいつも抱える一抹の不安です。

↑ 昨日は有栖川宮公園のなかにある都立中央図書館に資料のコピーに行きました。もうほんとうに久しぶり。『源氏物語と鎌倉』をまとめるまでどんなにか通ったでしょう。けれど、出版してからは講演などで忙しく、原稿を書くにももう資料は揃っていましたから行かないで済ませていました。

でも、この図書館は写真のように回遊式の大名庭園のなかにあり、行くと風情を楽しめるんですよ。くつろいで帰って来られるので、行けない日々が長く続くとどこか鬱屈が溜まって行きたくてたまらなくなります。少しずつコピーしたい資料のメモも溜まってきていましたし、枝垂れ桜の開花の報をツイッターで知って出向きました。

そんなわけで、昨日はほんとうに贅沢な一日でした。

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2013.1.6 明日の講演用に送っていただきました!八木書店様刊行の『尾州家河内本源氏物語』影印本の抜刷とカタログです。

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建長寺様での講演が明日に迫ってきました。

『尾州家河内本源氏物語』は2010年から八木書店様でカラー版の影印本が刊行されています。全10巻で、現在7巻まで進みました。私も欲しくてたまらないのですが、分売不可で一冊3万円近くするので個人での入手は無理。都立図書館へ行って拝見しています。

いくら『尾州家河内本源氏物語』のお話をしても、実際にどんなに凄いものかご覧になってみないと実感できないと思います。それで、八木書店様にお願いして今回の講演用にカタログと抜刷を送っていただきました。会場でいらした方に実際に手にとってご覧いただこうと思っています。

写真の抜刷は「若菜上」巻の部分です。その下にあるのが裏表紙の部分です。

では、明日、会場でお目にかかれたら嬉しいです!

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↑ 講演で上映するスライドの一枚です。

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2012.10.5 『解釈』9.10月号(中世・近世特集号)に『源氏物語と鎌倉』のご書評と、論文「源光行の鎌倉下向と一時帰洛」を載せていただきました!

Faceookページに『解釈』9.10月号の表紙と目次、それに裏表紙の銀の鈴社様掲載の広告の写真をupしました。広告には『源氏物語と鎌倉』の上に久松潜一先生監修の『100人で鑑賞する百人一首』も。http://www.facebook.com/odayuriko.f 

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昨年早稲田大学で公開された九曜文庫の古典籍は、中野幸一先生が収集され寄贈されたものです。twitterで展示情報を得て拝見しに行きましたが、まさかその中野先生にご書評を書いて頂くことになるとはそのときは思ってもいませんでした。

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『解釈』9,10月号掲載の「源光行の鎌倉下向と一時上洛」は、光行が河内本源氏物語を成すといった文学者だけでなく、実務家としての側面を書いたもの。事跡を集合するとそれが浮かびあがります。今ある方からお電話でそれはたしかだとおっしゃっていただきました。光行のキャラが見えてきています。

光行の実務家の一例をご紹介しますね。実朝に仕えた時期に光行は鎌倉の寺社奉行の一員に選ばれています。一寺社に三人のうち二番目だから次席の地位。しかも担当寺社は永福寺の阿弥陀堂。これは単なる文学者の立場ではありません。今朝頂いたお電話でもそこに着目していろいろ教えて頂きました。

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